情熱の本箱
若い木田元がマルティン・ハイデガーに惹かれたのはなぜか:情熱の本箱(391)

  

情熱的読書人間・榎戸 誠

闇屋になりそこねた哲学者』(木田元著、晶文社、ちくま文庫)は、哲学者・木田元の自伝であるが、私にとって一番興味深いのは、若い木田がマルティン・ハイデガーに惹かれたのはなぜかということである。

「神様をもちださないで、なおかつ絶望した人間の構造分析をしてくれるような本があったら、と思いました。そういうものを読めば、何とか自分自身の焦燥感にもうまく対処できるのではないかと思ったのです。そこで、斎藤信治さんが戦争中に出版した『実存の形而上学』という論文集や、中川秀恭さんの『ハイデガー研究』という、これも戦争中の出版で当時古本屋にごろごろしていた本をみつけて読みました。そして、ハイデガーというドイツの哲学者が、ドストエフスキーとキルケゴールの影響を強く受けながら、絶望できる人間の存在構造を時間という視点から分析してみせているらしい。それが『存在と時間』という本だということを知りました。さっそく古本屋にいって、その本の翻訳を買ってきました。当時、寺島実仁という人の翻訳がありました。戦前から戦中にかけてだされたものです。この本も古本屋にいくらもありました。それを読んでみたのですが、さっぱりわかりません。・・・これは哲学書を読む専門的な訓練を受けなければダメらしいということに気づいて、よし、大学の哲学科にはいってやろうと思いました」。

「とにかく大学の哲学科へいって『存在と時間』を読むという目的だけははっきりしていました。それに、戦後もう遊びたいだけ遊んだし、少しまともに勉強したくなっていたのだと思います。(受験科目の英語が)わからなければ、はじめからやり直せばいいや、遊んでたのだから仕方がないと思って、弟の使った中学1年の教科書を借りて、出てくる単語をかたっぱしからおぼえました。やってみると、1週間もかかりません。中2、中3、とやっていって、高校3年までやっても、ふた月もかかりませんでした」。

「(東北大学に入学したが)ハイデガーを読むには、ギリシア語やラテン語は必須です。・・・相当根気がよくなければつづきません。でも、ぼくは挫折しませんでした。やはり、20歳をすぎてから大学に入ってきて、ほんとうに勉強したくなっていたのだと思います。そのころ、ぼくはたぶん血相が変わっていたと思います」。

「1年生の秋になると、ぼくもドイツ語を大体マスターしたので、同級生7、8人と読書会をはじめました。はじめ、ハイデガーの『形而上学とは何か』という薄いパンフレットみたいな本を読みました。・・・最初は7、8人ではじめた読書会がそのうち3人くらいになりました。それを読み終わって、さあ『存在と時間』を詠もうということになったのですが、そのときは船橋君と2人だけになっていました。10月の半ばだったでしょうか。・・・それ(寺島のひどい翻訳の『存在と時間』)を見ながら、辞書をひきひき読みはじめました。1週間に2回集まって読みます。最初の頃は1日1ページも読めませんでした。読書会のない日も自分ではどんどん読んでいきます。こうして翌年の3月くらいには一応読みおえました。おもしろかった。何だかよくわからないけど、おもしろい。何かすごいことが書いてあるという感じだけが伝わってきて、残りのページの少なくなっていくのがもったいないような気がしました」。

「『存在と時間』をはじめて読んだのは1年生の10月から翌年の3月にかけてです。ドイツ語を勉強しはじめて半年たつかたたぬうちに読みはじめたわけですから無茶といえば無茶です。でも、この本が読みたくて大学に入ったのですから、早く読みたくてたまりませんでした。おもしろかったのですが、肝腎なことは何もわかりません。何もわかっていないということだけはわかりました。この本は一度や二度これだけ読んでわかるような本ではない、ということもわかりました。・・・『存在と時間』を読んだら、どう生きたらよいかの見当はつくだろう、そうしたら飯を食うことは別に考えようと思っていました。食うことにかけては、闇屋時代の経験で自信があったのです。だけど、一度読んでみると、そうはいかないことになってきました。『存在と時間』から、この先どう生きていけばよいのか、その指針が得られると思っていたのですが、どうやら、そんなことが書かれているわけではないらしいということも分かってきました。たしかに、農林専門学校時代のあの焦燥感や絶望感は大学に入って収ってきたようですが、それは『存在と時間』を読んでなにごとかを学びとったからというのではなく、語学の勉強をしたせいだろうと思います」。

「二年生になる春に『存在と時間』を読み終わりました」。

「大学院へ入ってからも、もちろんハイデガーは読んでいました。『現象学の根本問題』というハイデガーの講義録があります。『存在と時間』が世に出たのは1927年です。4月頃に出版されたのですが、その夏、マールブルク大学で『現象学の根本問題』という講義をしています。この講義には『存在と時間』の書き直しという意図がありました。1927年に出版されたのは『存在と時間』の上巻だけですが、それが出たとき、ハイデガー自身、これが失敗で、下巻を続けて書くことはできないということがわかっていたと思うのです。それで『存在と時間』のやり直しのつもりで、『現象学の根本問題』の講義をしたようです。・・・いかにハイデガーがこの講義を重視していたかが分かります・・・。しかし、読んでみると、それは第1部第3編だけではなく、『存在と時間』全体の書き直しです。・・・それを読んでみると、実におもしろいんです。ハイデガーの直接のお弟子さんでも、その講義を聴けなかった連中は1975年まで読めなかったものを、ぼくみたいな若造が1953年頃には読んでいたのです。先生たちはもっと前から読んでいたのですが、残念ながら、それを有効につかって独創的な論文を書いた人は誰もいませんでした」。

「ハイデガーの講義録を読むと、具体的な材料に即してじつに平易に書かれています。ただ、ハイデガーも性格の悪い男ですから、本にするときは本当のネタは隠してしまいます。講義録では、『世界内存在』の概念はユクスキュルの環境世界理論とつなげて、じつによくわかるように解き明かしているのに、『存在と時間』では、ユクスキュルのユの字も出しません。・・・日本のこれまでのハイデガー研究者たちは、そんなことは予想もしないので、ハイデガーが『存在と時間』で言っていることを繰りかえすことしかしていません。創文社の『ハイデッガー全集』の翻訳で読むと何が何だかさっぱりわからないけれど、ハイデガーの講義録は、普通の日本語に訳せば、平明で実によくわかります。著作と講義とは全然違います。講義には、書いたものには目立つレトリカルなところがまったくありません」。

巻末近くの、「いろいろの生き方があると思いますが、70数年生きてきてはっきり分かったことは、やりたいことをして生きるのがいちばんよさそうだということです」という言葉が、胸に沁みる。

本書のおかげで、ハイデガーを理解するには、著作『存在と時間』ではなく、講義録『現象学の根本問題』を読んだほうがよいということが分かり、溜め息が出た。

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