情熱の本箱
1冊で3通り楽しめる心憎い傑作:情熱の本箱(397)

  

情熱的読書人間・榎戸 誠

ハムネット』(マギー・オファーレル著、小竹由美子訳、新潮社)は、70年を超える私の読書体験の中でトップ5に食い込むほどの傑作である。何しろ、心憎いことに1冊で3通り楽しめるのだから。

第1は、恋愛小説として楽しめること。

18歳のラテン語教師は、家庭教師先の8歳年上の魅力的な娘・アグネスと恋に落ちる。子供ができた二人は、裕福なアグネスの実家の反対を押し切って結婚する。結婚後、鬱々としている夫がロンドンで一旗揚げたいと思っていることを知ったアグネスは、寂しさを堪えて愛する夫をロンドンへ送り出す。

夫の不在中に、男の子・ハムネットがペストで、母親の必死の看病も空しく死んでしまう。この愛する息子の死は、深い悲しみに打ちひしがれた夫婦の間に亀裂をもたらす。

そんなある日、アグネスは夫の新しい芝居のチラシを目にする。何ということだろう、そこには、大きく、死んだ息子の名前が記されているではないか。どういうことかと、その芝居がかかっているロンドンの劇場に駆けつけたアグネスが見たものは・・・。

第2は、モデル小説として楽しめること。

ラテン語教師、夫、父親など、その場面に応じて、さまざまな呼び方をされる男は、ウィリアム・シェイクスピア、その妻・アグネスはアン・ハサウェイ、そして、スザンナ、ハムネット、ジュディスが二人の子供たちであることは言うまでもない。

本書の冒頭に、「歴史的背景」が掲示されている。「1580年代のこと、ストラトフォードのヘンリー通りに住むとある夫婦には3人の子どもがいた。スザンナ、そして双子のハムネットとジュディス。男の子、ハムネットは、1596年、11歳で死んだ。4年ほどあとに、父親は『ハムレット』という戯曲を書いた」。

第3は、推理小説として楽しめること。

シェイクスピアが18歳の時、8歳も年上の女性と結婚したのはなぜか、その後、28歳になったシェイクスピアがロンドンで劇作家として名乗りを上げるまでの8年間、どこで何をしていたのか――これらの謎に果敢に挑戦し、大胆だが説得力のある推理を展開している。

『ハムレット』ならぬ『ハムネット』に出会えた幸運に感謝している。

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