魔女の本領
やり手の商人の家族・国家・社会の実像…

中世イタリア商人

『中世イタリア商人の世界 ルネサンス前後の年代記』清水廣一郎


ルネサンス前後の商人のリアルな経済と政治感覚。けっこう合理的なやり手の商人の家族・国家・社会の実像。

この本、昔読んだのである。あとがきによれば1981年である。当時この種の歴史書が多く出版されていた。すなわち、いわゆるアナール派が、それまでのマルクス主義歴史学を超克して出て来ていた。今思い出しても、西洋史では阿部謹也、日本史では網野善彦などが、続々と本を出していた。その歴史書の読者は研究者に留まることなく一般の読者が多く読んでいたのである。当時大学内部にいたので少しは内実が分かるのだが、学科内部も分かれていて、一名はアナール派、一名はマルクス主義であった。また一名はアナールを理解していたが阿部謹也氏のことをあんないい加減な本は歴史書ではないという立場をとっていた。その阿部氏のラインに連なる清水廣一郎のサントリー学芸賞の著書である。当時のことを少し思い出したのだが、平凡社が『月刊百科』というパンフレットのような冊子を出していたが、これがとても面白かったのだが、本書もそこへの執筆から出発したようである。

本書はジョヴァンニ・ヴィッラーニという商人の書き記したフィレンツェの年代記を読み進み、作者の意図やメンタリティ、その背後にある当時の家族のあり方や社会状況を考察したものである。都市国家としてのフィレンツェの政治・社会構造、教皇派と皇帝派の相次ぐ紛争のなかでの商人としての立ち居振る舞いがビビッドに描かれていて興味深い。ヴィッラーニの年代記は良く知られた文書であり色々な書物に部分部分が引用されているのだそうであるが、政治的な動向よりは清水廣一郎はむしろ商人としての精神史を描いていることが特色としてあげられる。ヴィッラーニはダンテより15歳年少であり、更に政治的には相反する立場にあったようであるが、ダンテの『神曲』に影響された記述があったりして、お互いが影響し合ったといえそうである。

商人としての世界は、じつにリアルで興味深い。かれらの商業は遠隔地貿易の間を取り持つ商社のような働きによって財を成して行き、やがて教皇庁に食い込み、十字軍の費用の調達のような大規模な金融業へ発展する。それは単に金を持っていると言うだけでなく、イタリア商人の優れた事務・管理能力が、時々の権力者にとって大きな利用価値を持っていた。かれらは、権力者に密着してさまざまな特権を獲得するという典型的な「特権商人」の道を歩んだのである。

彼らの能力は識字能力、計算能力、帳簿つけ能力は貴族層を凌駕していたのである。特に注目すべきは全てにおいての「文書主義」が徹底していて、商業文書に留まらず、結婚の約束や財産分与など家族内にまでこの文書主義は徹底していたようである。そのことが書き記すということのメンタリティーを助長したようだ。またそこから記録への執念も生じた。今日の社会とは較べものにならないにせよ、中世都市もいちじるしく流動性に富む社会であって、全体としては安定しているかに見える大都市も、個人個人のレヴェルではきわめて不安定な存在なのである。このような環境の中で、人と人との関係を人為的に形成された「契約」として把握し、それを記録にとどめることによって持続的な効力を確保しようとするメンタリティが広く定着することになる。ここでは、信義による結びつきは、大きな力を持ちえない。市民たちは、つねに書かれた証拠を武器に、自分たちの利益を守ろうとするのである。そのような社会の需要から「公証人」制度も生まれた。公証人制度の起源については議論が多いが、一般に、中世都市経済の発展とローマ法学の復興が行なわれた11〜12世紀に制度として確立したと考えられている。その後、この制度は、イタリアから南フランス、スペインなどローマ法の伝統の強く残っている地域に普及し、更にゲルマン的な慣習法地帯である北フランスや南ドイツへも浸透していったものである。

本書の面白みは所々の脱線である。たとえば、ジョヴァンニ・ヴィッラーニは二つの商社を移るのであるが、どうも、兄弟を残して別の商社に移るのは危険の分散を図り、「家」の維持を裏で画策していたらしいとか。二重帳簿で裏金を作っていたらしいとか、マネーロンダリングのようにして土地の所有権を得たりとか、やり手の商人なのである。しかし、彼が年代記を書くのは祖国であるフィレンツェへの心情である。商人として成功したものは上級の役人としてフィレンツェの政治に携わるのか成功の頂点であった。この点でかれも一時は政治の世界に達するのであるが、都市国家間の抗争や国際政治の動向から商社の破産が相次いだ際、彼の会社はなんと全財産を持って夜逃げをしてしまう。この事が契機にかれの行なった政策の幾つかにおいて公金横領の疑いかけられ地位を失うのである。中世都市国家においては、専任の官吏は存在しなかったから政治を担う上層市民にとっては公私の混同がおこり、公金横領や背任がどこでも起きる可能性はあった。もちろん彼にも言い分はあり、貸し付けた金を踏み倒す君主の側に非はあるのであり、フィレンツェを衰亡に至らしめたのは、それらの所業であるという強い批判が書かれる。

結局、かれは1348年の黒死病で死亡してしまうのであるが、この年代記は弟によって書きつがれることになるが、栄光の商人とフィレンツェの蜜月のリアルで明るい色彩は影をひそめ、宗教的な色合いの強いものへと変わって行ったのである。

商人は政治の動向で浮きもするし、沈みもする。しかし、上層商人は情報を得ていて、夜逃げも出来るが、さて民衆はどうであったか。文字を持たない庶民も結構がんばるのである。裁判の証人として出頭した農民は、商社のあれやこれやの裏切り行為をはっきりと糾弾し、げす野郎と明言する。そうなのである。理屈をこねて偉そうに非道なことをする商人には、私たちも悪罵をお見舞いしよう。

魔女:加藤恵子