学魔の本函
『綺想の帝国 ルドルフ二世をめぐる美術と科学』トマス・D・カウフマン著 を読む。

綺想の帝国

『綺想の帝国 ルドルフ二世をめぐる美術と科学』


ここ数年の間になぜか2度も東京での展覧会があったことにも驚くが、それはアルチンボルド展である。ルドルフ二世の顔が果物や魚で描かれている絵画を日本人がなぜそれほど興味を持つのか不思議であった。いずれもが大盛況であった。

大体のイメージは持ってはいたが改めてルドルフ二世のプラハとは何んなのだ?ということで読んでみた。

著者のカウフマンはワールブルク派の気鋭の美術史家で、私の最も好きなルネサンス研究者であるフランシス・イエイツの研究成果に連なる研究者である。本書は書きおろしではないために内容が重複するものもあるし、エッセー風の印象も受けるが、内容は非常に重厚なものになっている。訳者のあとがきによると、本文もかなり回りくどく、訳しにくかったと書かれているが、その理由はドイツ語、イタリア語、ラテン語、ギリシャ語、オランダ語までが混じっていたためであるようだ。中世の学問を学問たらしめていたのはラテン語であるが、近代以降はそれがヨーロッパ各国語へと変わって行ったことを改めて知らされる思いである。

本書のメインはやはりアルチンボルドなのであるが、そこに至る過程で、ルドルフ二世という君主とその宮廷とはどんな存在であったかをいくつかの事例を呈示して考察されている。それゆえ、あのへんてこなアルチンボルドの絵画が以外にも違和感がなく、受け入れられると言う点で大変に興味深い構成になっている。アルチンボルドの絵画についても、展覧会でもなんだかあれこれがこじつけられて説明されていたのだが、納得していたかと言えば半信半疑であった。しかし、15,16世紀の絵画表現がルネサンスのいわゆる古代復興から新科学の時代へと移る間に画家に限らず、詩人、天文学者などが相互に影響し合って色々な分野に新規な作品を作り出したと言う点から敷衍してゆくことで、プラハのルドルフ二世の宮廷で展開された科学と芸術の融合と新たな時代への橋渡しがなさらことによる眼を見張る成果が残されたと言うことが理解される。ルネサンスの評価についてはいまや多くの研究者においても単なる古代の復興、均整のとれた感覚と言う一律の評価が誤りであると言うことは明らかにされている。後期ルネサンスはマニエリスムとして前期ルネサンスとは真逆のイメージであったことは明白なこととなっている。そしてその流れがプラハのルドルフ二世の宮廷のあの奇怪な絵画ということなのかと言うと、これがまったく違うのである。マニエリスムであることの意味の深みに関わることでもあるのだが、つまり綺想と言うこと自体が非常に高い文化的な意味を秘めていたということである。

そこにいたるまでに自然をどうとらえるかという深い洞察がなされていた。中世はどこまでも聖書との関連性として自然をとらえていたが、ルター以降のプロテスタントの世界観に代わってからは、近代には至らないが世俗的に自然界をみる、つまりは非聖化された世界からながめる基礎ができつつあった。その世界とは17世紀の科学革命の世界であるのだが、そこに至る渦中にあったのがルドルフ二世の宮廷であった。ルドルフ二世は奇妙な人物であったわけではなく、むしろ古代的な世界からくる自然観を近代的な技術で表現する手法に興味を持ち、それを好み、アルチンボルドをイタリアから招聘した。そして描かせた肖像画が果物や魚、書籍や道具で構成された自画像である。一般的には、その意識は王として自然界の全てを統治する者としての表象と言われている。しかしカウフマンは更に深く解釈している。それはルドルフの周辺にいた詩人の詩にうたわれている古代の神話の人物や強調されている古代の世界から、ルドルフがこれらの詩的世界の人物に自己を仮託している肖像画を描かせたという点である。それは神聖ローマ帝国の君主としてハプスブルク家の継続性と統治の正当性を表現するために季節の神ウェルトゥヌス(ローマの季節神)に自らを似せて、宇宙を構成する諸元素と季節を支配していることを暗示させ、その永続性を図像化した。これは後期ルネサンスの一つのテーマでもあった「ウイット」でもあり、まじめな遊戯でもあり、気まぐれでもあり、幻想でもあった。この解釈を正当化せしめているのはアルチンボルドが同時期に協働した詩人たちの詩だということであるが、アルチンボルドについて美術領域での評価からは抜け落ちているのが詩作品との連携であると言うことである。当時「賢い息子たち」といわれて重用されていた詩人の中にプロペルティウスという詩人が居て、彼の複数ある書物の4番目の2番目の詩は季節神のウェルトゥヌスに捧げられているものだということである。つまりこの詩の視覚化がアルチンボルドの作品であるということから、詳細に絵の分析がされている。ただ物体を集めたのではない。ウェルトゥヌスの頭髪には葡萄が、玉蜀黍の花穂で耳が、桜桃が片方の眼、桑の実がもう一方の耳、林檎が頬、南瓜、胡瓜、キャベツなどが詩の中に使われていてそれらがアルチンボルドの絵の中でも配列されているという。非常に興味ある指摘である。単なる寄せ集めではなくて、詩の作品によって古代の季節神が四季を統べる存在であるあることの変身としてのルドルフ二世の肖像画であるとすれば、ルドルフ二世が自ら好んで掲げたアイコンであったことが理解される。

ルドルフ二世の宮廷はこの古典世界に止まる事はなかった。各種の新科学の天才たちを宮廷に集めている。当時としては先端的な機械仕掛けの天球儀と地球儀が残されている。これは凱旋門に置かれていて、コペルニクスの天体の回転を人びとに知らせた。この凱旋門というのは実は非常に象徴的な門で、この装飾だけではなく、この門を通って入城する儀式がページェントとして大きな意味と表象を伴っていた。これについてはイギリスも同様で、イエイツの著作の中にも詳細な記述があり記憶していた。このルドルフ二世の入城のページェントの企画者にアルチンボルドも加わっていた。ルドルフ朝の機械文化への興味は近代への道を開いた点でも重要である。当時は宮廷占星術師として宮廷に抱えられたティコ・プラーエやケプラーが望遠鏡を駆使して天文学を導いたと言う訳である。ルドルフ二世は保護と言う形で、新しい科学において「近代」に直結する発見をみとめる非常にフレキシブルな精神の持ち主であったことが想像される。

そしてルドルフ二世は宮廷に後に驚異の博物館と総称されることになる「芸術室」を作り珍品の蒐集を図った。これもまたルドルフ二世にとっては世界の掌握というイデオロギーがそれを支えていた。この点についてのカウマンの見解は興味深い。つまり保護と蒐集という行為は何を意味するのかという点である。彼は保護も蒐集も「全く同程度に大規模な消費である」という見方である。暇と充分な財力がなければできない。そしていくつかのヨーロッパの宮廷では蒐集を進める時に、事物をある計画や体系にそって集めていた。その根底には博物学の認識があるのだろう。この蒐集が後には計画性がゆらぎ、珍奇なものを蒐集する点では変わらないにしても、それを宮廷内の権威に結びつけて、秘蔵していた時代から大衆へ見せる時代に変化した時点で「驚異の博物館」へと変わったことが読み取れる。

ルドルフ二世の世界は見かけの奇妙で、不可思議で、なんだか崩れている精神とはかけ離れた、高度な古典文化を知り、それを表象する画家の好奇心を自由に発揮させ、科学者を保護し、新科学を受け容れ、珍奇なもの新奇ものをくまなく蒐集し、自らを世界秩序の統治者であるという意識で生きた、なかなかの賢人王であったというべきなのだ。

細かい色々な事象を是非お読みください。

巻末に参考文献がついていますので、それも参照ください。バルトルシャイティス、ゴンブリッチ、ホッケ、パニフスキー、ロッシ、イエイツ等が挙げられています。

付記:イエイツについては完全読破しておりますので(一冊だけ手に入らなかった)、大体の説明は出来ますが、最近の学会ではイエイツの評価は低くなっていると言うことです。

魔女:加藤恵子