『ホビット 思いがけない冒険』がいよいよ公開ですね。説明するまでもなく『ロード・オブ・ザ・リング』(指輪物語)の前譚となる、あの運命の指輪を見出す物語です。ドラクエやFFといったRPGの母胎ともいえるテーブルトークRPGに大きく影響を及ぼしているイメージソースとしても、忘れることはできません。そんなイメージで、本箱をつくってみました。「指輪物語」人生の岐路で何度も読み返す運命にあるようです。特に、2002年、ポケモンカードの過酷な制作の最中、通勤バイクで転倒し、鎖骨の複雑骨折で二週間入院したときの痛みの思い出とも重なります。そのときに制作していたADVシリーズは、それまでの不振を打ち破るスマッシュヒットとして、世界一のTCGへの道を作り出したのでした。いまとなっては、夢のような出来事ですね。
三つの OS は、ガラスの塔の会社の王に、
七つの OS は、豊かな果樹園の谷間の君に、
九つは、死すべき運命のドットコムに、
一つは、暗き御座の冥王ゲイツのため、
影横たわるレッドモンドの地に。
一つの OS は、すべてを統べ、
一つの OS は、すべてを見つけ、
一つの OS は、すべてを捕らえて、くらやみのなかにつなぎとめる。
影横たわるレッドモンドの地に。
というフレーズも当時よく引用されていました。
正せば、
三つの指輪は、空の下なるエルフの王に、
七つの指輪は、岩の館のドワーフの君に、
九つは、死すべき運命の人の子に、
一つは、暗き御座の冥王のため、
影横たわるモルドールの国に。
一つの指輪は、すべてを統べ、
一つの指輪は、すべてを見つけ、
一つの指輪は、すべてを捕らえて、
くらやみのなかにつなぎとめる。
影横たわるモルドールの国に。
Three Rings for the Elven-kings under the sky,
Seven for the Dwarf-lords in their halls of stone,
Nine for Mortal Men doomed to die,
One for the Dark Lord on his dark throne
In the Land of Mordor where the Shadows lie.
One Ring to rule them all, One Ring to find them,
One Ring to bring them all and in the darkness bind them
In the Land of Mordor where the Shadows lie.
「一つの指輪」は、身につけると体が透明になる魔法の指輪として知られています。同様のギミックとして、「ハリー・ポッター」シリーズでは「死の秘宝」のひとつである「透明マント」、そして日本では「天狗の隠れ蓑」といったように、万国共通するマジック・アイテムといってよいでしょう。
トールキンの生み出した「一つの指輪」は、フェアノール文字で刻まれた暗黒語による銘文の通り、その本来は、呪われた「力の指輪」でもありました。指輪を手にした者はこれに魅せられて心を奪われてしまうばかりでなく、指輪を欲しいと願っただけで心が堕落してしまう。指輪は手にした者の生来の資質に応じた力しか与えず、偉大な力ある者であれば、指輪に込められた強大な魔力を引き出すことができるといいます。指輪の力を引き出すには意志の鍛錬が求められました。第一次世界大戦を背景にした、トールキンの壮大な思考実験ともいえるアイテムなのですが、その原型は古代ギリシアに見出すことができます。
「ギュゲスの指輪」という物語があります。
羊飼いだったギュゲスは、大雨が降り地震が起きて出来た穴に入りました。
そこでギュゲスは、青銅製の馬を見つけます。馬の中は空洞になっていて
小さな窓が付いていました。中には服を身につけていない死体があり、黄
金の指輪をはめていました。ギュゲスは指輪を抜き取り町へ帰ります。そ
の指輪をはめて羊飼い達の集まりに出席したギュゲスは、その指輪がつけ
たものの姿を見えなくする力を持っていることを知ります。指輪の玉受け
を自分の方へ回すと周囲の人から彼の姿が見えなくり、逆に回すと姿が現
れるのです。指輪の力を知ったギュゲスは王の元へ行き、妃と通じて王を
襲い、王権をわがものとしました。
これは、プラトンの『国家』2巻3章に出てくる物語です「不正を行なうことは自己利益に反する」というソクラテスの主張に反駁するグラウコンが例にあげる物語です。グラウコンは、人々は不正がばれたら困ると考えて道徳に従っているのであり、もし不正がばれない(透明になる)のであれば、誰でも不正(姦通と王殺し)を行なう方が得だと考えるだろうと論じます。
さらにこの物語は、ヘロドトスによる『歴史』(1巻8章から14章)を原型としているようです。
ギュゲスは、絶世の美女を妻に持つことが自慢の独裁者カンダウレスの召
使いです。カンダウレスは自分の妻がこの世で最も美しい事を証明しよう
と、召し使いのギュゲスを夫婦の寝室に招き入れ、妻の裸の姿を見せよう
とします。カンダウレスはギュゲスを寝室に前もって招き入れ、妃に気付
かれないように扉の裏に潜ませて、妃が服を脱ぎ去る様を見せます。妃は
その企みに気付き、翌朝ギュゲスを呼びつけます。そして、独裁者の言わ
れるままに自分の裸を見る事に耐えられないことを主張し、ギュゲスにこ
の場で死ぬか、カンダウレスを殺すかの選択を迫ります。ギュゲスは主君
を殺す方を選びます。妃を覗き見した同じ場所にギュゲスは忍び込み、主
人が寝込んだ隙に短剣で刺し殺し、妃と国を自分のものとしました。
この物語では、后が国王の悪趣味と恥辱の報復に、召使いギュゲスと取引をして国王を葬り去るという主人殺しがテーマになっています。ギュゲス自身は主人殺しの責任を問われることなく国王として生涯を終えます。しかし、その子孫であるクロイソスがまさに先祖の犯した罪をつぐなうことになっていく、歴史的な因果応報がさらなるテーマになっているというものです。
プラトンは、ヘロドトスによってシェアされた教訓譚をベースに、自分の物語のための素材として編集し、効果的なアイテムを設定することで物語を自分の意図のもとに再編集をしていったようです。プラトンは、ソクラテスの言葉にして「たとえ神も人も見ていなくても、道徳的に行為しなければいけないのはなぜか」という問いに、「不正なことをすると、たとえお咎めをうけなくても、性格が歪んでしまい、結局は損をすることになる」と答えますが、ヘロドトスの物語を暗示させて、因果応報のメッセージを強化しているようです。
そして、トールキン。どこまでこの物語を意識していたかはわかりませんが、あきらかに物語的連想が働いていることを感じさせます。姿を消す指輪によっていたずらをはじめたホビットがその魔力にとりつかれ化け物(ゴクリ)になってしまうエピソード。そして、その指輪を偶然手に入れたフロドが、その魔力にとりつかれそうになりながらも結果的に火の山に指輪(権力を象徴)を棄却する物語の結末は、プラトンの『国家』を一歩進めた過酷なメッセージとも受け取れます。
「姿を消す」「不正」「力」から容易に連想される現代的な問題もあります。インターネット上で繰り返される、ステマ、いじめ、犯罪予告のような威力妨害といった悪戯など、匿名性による「力」の濫用です。「人に見られていなければ、何をしてもよいのか」という問いは未だ解決されるものではなく、新たな物語が紡がれていくように思います。
【指輪物語の本箱】
- Lord of the Rings
- ホビット―ゆきてかえりし物語 [第四版・注釈版]
- トールキン指輪物語事典 ― 普及版
- ロード・オブ・ザ・リング・アートブック
- Tolkien: The Illustrated Encyclopaedia
- The Atlas of Middle-Earth 「中つ国」歴史地図 ― トールキン世界のすべて
- Realms of Tolkien
- Premium Dungeons & Dragons 3.5 Monster Manual with Errata
- Premium Dungeons & Dragons Dungeon 3.5 Master’s Guide with Errata
- Premium Dungeons & Dragons 3.5 Player’s Handbook with Errata
- 文庫 新版 指輪物語 全10巻セット (評論社文庫)
- 火の起原の神話 (ちくま学芸文庫)
- 夜の言葉―ファンタジー・SF論 (岩波現代文庫)
- 妖精物語からSFへ (1978年) (サンリオSF文庫)
- アエネーイス (上) (岩波文庫)
- アエネーイス (下) (岩波文庫)
- 国家〈上〉 (岩波文庫)
- 国家〈下〉 (岩波文庫)
- 歴史 上 (岩波文庫)
- 歴史(中) (岩波文庫)
- 歴史 下 (岩波文庫)