認識は孤立したままでいることはできない。確かに認識は最初は孤立したもの
でなければならない。しかし孤立したままでいるのをやめるべきなのだ。人間
は運命によって認識に結ばれているが、これは同時に二つのことを意味してい
る。人間が認識を運命づけられていて、認識の内にしか人間的な意味はないと
いうこと、そして反対に認識は、人間の運命から分離されることも、異なるも
のになることもできないということだ。
ジョルジュ・バタイユ『呪われた部分 有用性の限界』より
自己意識を消すことというのがかつてのテーマだった。ほんとにどうでもいいようなことだけど、意識は明晰なまま自己観察をつづけている。ヘーゲリアンだったバタイユ、その酩酊系に魅せられつつも明晰系で、過去にあざ笑われるような自虐と諧謔、いまさらだけどいまならでは、いまだからこそ読み取れる何かを期待する本箱をつくってみた。
余談:意外に知られているところでいうと岡本太郎とバタイユのカンケイ。「芸術は爆発だ!」「太陽の塔」のモチーフに絡んでくるのがバタイユの思想だったりする。太陽の無限ともみえる「贈与」と「消尽」。自然界の根源的なエントロピーの増大、人間性という呪縛、忘却とも暴虐ともいえる祝祭、「芸術」という文化装置、システムのとりこまれることのないメタシステムは、自己意識の爆発と蕩尽へと誘うのだ!
【バタイユー明晰系の本箱】
- 神秘/芸術/科学 (ジョルジュ・バタイユ著作集)
- 呪われた部分 (ジョルジュ・バタイユ著作集)
- エロティシズム (ジョルジュ・バタイユ著作集)
- エロティシズムの歴史―呪われた部分 普遍経済論の試み〈第2巻〉 (哲学文庫)
- ランスの大聖堂 (ちくま学芸文庫)
- 聖なる陰謀―アセファル資料集 (ちくま学芸文庫)
- 明かしえぬ共同体 (ちくま学芸文庫)
- 宗教の理論 (ちくま学芸文庫)
- 純然たる幸福 (ちくま学芸文庫)
- G・バタイユ伝〈上 1897~1936〉
- G・バタイユ伝〈下 1936~1962〉
- 至高性―呪われた部分 (普遍経済論の試み)
- 新版 バタイユの世界
- 未知なるもの=他なるもの―ランボー・バタイユ・小林秀雄をめぐって
- 供犠 (叢書・ウニベルシタス 119)
- ヘーゲル読解入門―『精神現象学』を読む