『ゾンビ襲来 国際政治理論で、その日にそなえる』ダニエル・ドレズナー
クリスマスやらお正月やら、めでたいこんな日にゾンビ襲来なんて言う本を読んでいる罰あたりであるが、実はこの本かなり評判になっているのである。徹底してゾンビが発生した時に何が起こり、国やら国際社会やら果ては家族やらがどんな行動を起こすかを論じている。マジです。
著者は有名な国際政治学の専門家で、かつゾンビ研究会の顧問(笑)なのである。本書の狙いは既存の国際政治学の諸理論が、ゾンビ対策にどう対応するかを検討している。そのパラダイムはリアリズム(現実主義)、リベラリズム(自由主義)、ネオコン(新保守主義)、コンストラクティヴィズム(構成主義)と多岐にわたり、国際政治学の諸理論をつかってゾンビに対決した場合の長所や短所が書かれているわけである。すなわち、グローバリズムの時代に起こるであろう危機への対応をゾンビ発生で予行演習して見た・・・のである。
勿論ゾンビとはいかなるものかの規定もきちっと書かれいる。ポピュラー・カルチャーの中のゾンビ・ルネッサンスにも関わらず、ゾンビはいまだに、みっともないものと見なされているのだそうで、ヴァンパイアとは対照的にゾンビは高校ではモタないらしい。ちょっとかわいそうである。
しかし、ゾンビ発生に類する現象は今やしばしば見られる。例えばパンデミック、狂牛病、エイズ、インフルエンザだってすでに国境を超えているではないか。「ゾンビの増殖は、経済的グローバリゼーションの外部不経済性という古典的な問題を表象している。相互通商から利益を得ている国々は、相互通商の第三国(つまり、ここでは食屍鬼)をも、その拡散を促進することによって意図せざる形で利する。したがって、国家はゾンビを、マネーロンダリングや食物媒介疾患などのように開かれたグローバル経済から発生する「負の公共財」と同様のものとみなすこととなる。」のだそうだ。
またそれぞれの国家の在り様からゾンビ問題は深刻な危機を生じさせる。即ち権威主義国家は、国民の健康に関する危機の存在を認めることが、当該社会に対する国家統制の脅威となることを理由として、しばしば、そのような危機の存在そのものを認めない。非民主主義的レジームは、災害を予防し封じ込めるために必要な公共財に投資を行う可能性が低い。これが、権威主義国家において、災害から生じる人的損失が大きくなってしまう理由の一つである。これは日本の原発事故の日本政府の対応を思い起こさせる。放射能=ゾンビなんじゃないか?
などと書きながら、著者は恩師にこんな本書いて「マジで、すいません」なんて謝っているが、全然懲りてはいないのである。
わたしたも、隣のゾンビを撃退するのか、それともゾンビにも人権があるなんぞと言っているうちに自分がゾンビになるのか、立ち止まって考えておこう。
魔女:加藤恵子