初版は50年以上は前なのではないかと思うのだが、私は20代前半に読んだ。現代では子母澤寛など知らない人も多いとは思うが、司馬遼太郎などが出る以前、幕末や明治維新に関わる人物の伝記で有名であった。特にその視点は全て幕臣の側から見たもので、司馬とは明確に異なっていた。中でも『新撰組始末記』は司馬の『燃えよ剣』などの小説に比べて、敗者の痛みが強く感じられる心にしみる作品となっていた。その理由は子母澤寛の祖父が元幕臣で、祖父に口移しで語られた明治維新に破れた幕臣の姿を記憶していたという点に在る。
『父子鷹』は勝海舟の父小吉と麟太郎の姿を、特に小吉の江戸の中で汚辱にまみれた御家人のなかでただ一途に清廉に生きた姿を描いたものである。この作品にはネタ本が存在する。小吉が書き残した『夢酔独言』である。小吉は無筆であったが、晩年麟太郎に書き遺すためだけに文字を習い書いたという。「俺のようになるなという戒めのために」。小吉は微録御家人勝家の養子である。実家は男谷家であるが、そもそも男谷家も小吉の祖父が検校で莫大な資産を作り、御家人株を買い父親の代から金を武器に役職に就いてきた家である。その父親の妾腹の二男が小吉で兄とは25歳もの年齢差がある。小吉は剣術は秀出ていたが学問を修めることには無頓着であったが、実家の父や兄の金を使った就職活動で、一旦は代官の手代に決まりかけるが、就職のお礼のため設けられた席で汚職役人から父親を侮辱されたことに腹を立てその上役を投げ殺したことで、全てを失い、以後無役のまま市井に生きたのである。しかし、小吉は江戸の庶民に混じる中で、実は最も清く、武士の魂を抱き、放蕩無頼の日々の中に、えも言われぬ徳を実現した人物として描かれている。もちろん、時には狡猾な百姓相手に一芝居を打って隣家のこれこそ腐ったような旗本のために金を集めたりするが、自らは手は汚してもわいろはとらないという一貫した姿勢が江戸下町庶民に愛されたようだ。そして、この本から立ち上るのは親兄弟の心をつかれる愛情の機微である。兄は小吉を非難しつづけながら、裏に回って手をさしのべ続ける。そして麟太郎に期待をかけ、武芸は兄の養子男谷精一郎に託す。この人物は幕末に剣で有名な人物で、『大菩薩峠』にも出てくる人物である。
後に勝海舟となる麟太郎はこのような父、剣聖といわれた叔父の精一郎を見て、学んで育った。そして父同様に江戸を愛した。そして幕府滅亡の時に、西郷隆盛とともに江戸を火の海にすることなく江戸城を開城する立役者となったのは、ただ学問によって政治手腕を学んだのではない。清廉潔白を愛された父親の姿を見ながら子供時代を過ごし、それを懸命に支える母親を見ていたからである。しかし、この本は道徳の教科書ではない、小吉の波乱万丈で、真っすぐだが、なんとも愛すべき単純人間の底の深さを笑わせてくれる読み物となっている。わけのわからない現在の政治情勢の中で読まれることを待っている本ではないかと思う。笑えて泣けて感動する父と子の本をどうぞ。
魔女:加藤恵子