魔女の本領
異邦人たちが目撃した徳川後期文明は…

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『逝きし世の面影』渡辺京二


かねてより名作の誉れが高かった本ではあるが、読み終わって、感動で胸が震えた。それは作者が素晴らしいとか、作品の質が高いとかという時点ではない。この本は幕末から明治20年代に日本を訪れた多くの外国人が書き残した記録類を丹念に調べて、そこに当時の日本人の姿を再現した作品である。外国人がちょっと見ただけの印象記など現実を映していないとか、一面しか見ていないだろうと言う批判はあるとはいえ、逆に外国人に奇異にみえたあれやこれやが、われわれ自身には見えないことであるということも言える。さらに、いわゆるサイードのオリエンタリズムの観点から、ジャポニスムの美化でしかないという批判を乗り越えて、日本の前近代の人びとの日常生活の姿が実に「夢のような」お伽の国なのである。

強く印象付けられるのは、人々の快活さ、好奇心に満ちた眼、何につけても笑い合う姿である。封建時代は暗黒の時代のように教えられたのは多分マルクス主義歴史観からであるだろうが、歴史小説も、白戸三平の漫画も、惨めな庶民、悲惨な農民、支配者の横暴が当然のこととして語られている。しかし、外国人が見た庶民は、確かに貧しくはあったが惨めではなく、互いに助け合い、おだやかに、しかも勤勉に生活を立てていた。そこから、印象的ないくつものエピソードが書かれているが、子どもたちが泣きわめくことがないという。なぜなら、子どもが心底大切にされていて、叩かれたり、叱られたりしていないから、泣きわめくことがない。その子供たちはまた、みんな弟妹を背負い子守りをしながら遊び回っている。子どもにとって道も神社も遊び場で、誰もそれを制限する人はいない。育児には男親もかかわっていて、家の前で裸の子どもを抱いてあやしている男親の絵もある。外国人に対しても何ら違和感を持たなかったようで、どこへ行っても子どもだけではなく大人たちの好奇心に眼を輝かした人々に取り巻かれる。そしてその歓迎ぶりは、花をつんできて渡したりしたという。家屋は非常に清潔で、衣服は地味ではあるが美しい。江戸の都市すらが自然を取り込んで都市化がされている。また、人と人とが争わないと言う点もあげている。時には争いが起こっても、綱引きで決着をつけ、負けた方がずるずる引きずられ倒れこんで、両者笑い合って終わったとか。また、犬や猫が街中に溢れていたが持ち主が決まっていたわけではないが、虐待する人もいない故に、人を恐れない。野鳥さえ人に馴れていた。狂人さえも排除されることがなく、あるがままに生活していた。

農民の生活も、つつましいが、おだやかなもので、これは経済史家が言うような租税の高さよりも余剰生産が生まれていて、それが手元に残る程であったようである。相対的に支配者の生活も質素で、言われている様な身分差は人々の精神を蝕むものではなかったようである。また、女性の地位も、存外高く、農業や商業のばあいは、女手が労働力の大きな力になっていて、実質的な力を発揮していた。言葉すら男言葉が飛び交っていたという。ことばはつねに人々の間で交わされ、それにお辞儀が繰り返される光景を外国人は無駄なことだと見ていたようだが、実は人間と人間との摩擦をどれほど和らげていたかを思うのである。人力車夫は車がぶつかれば互いを思いやって謝っていた。

近代としての確立が個の確立であり、その自由の追求があり意味で、哲学的な問題であるとしたら、この江戸末期の日本には個の自律は無かった。家は開け放ち、鍵もなし、庭で行水し、半裸で子どもに授乳している。野蛮と言えばそう言えるが、西欧で言うヒューマニズムの概念がなかったのであり、また恥の概念も異なっていた。

当時の日本人が非常に快活であったということに強く心を打たれる。なぜなのか?それについて、「身分制は専制と奴隷的屈従を意味するものではなかった。むしろ、それぞれの身分のできることとできないことの範囲を確定し、実質においてそれぞれの分限における人格的尊厳と自主性を保持したのである。身分とは職能であり、職能は誇りを本質としていた。尾藤正英は徳川期の社会構成原理を「役の体系」としてとらえる画期的な見地を提出している。「役」とは「個人もしくは家が負う社会的な義務の全体」であって、徳川期においては、身分すなわち職能に伴う「役」の観念にもとづいて社会が組織されることによって、各身分間に共感が成立し、各身分が対等の国家構成員であるという自覚がはぐくまれたと尾藤は論じる」。すなわち、自らの立場に充足し、その中での十二分な楽しみを得ると言うことなのであろう。

異邦人たちが目撃した徳川後期文明は、ひとつの完成の域に達した文明だった。それはその成員の親和と幸福感、あたえられた生を無欲に楽しむ気楽さと諦念、自然現象と日月の運行を年中行事として生活化する仕組みにおける、異邦人を讃嘆へと誘わずにはいない文明であった。しかしそれは滅びなければならぬ文明であった。

「逝きし世」なのである。だがしかし、その後の近代がどれだけわれわれに幸福感を与えて来ただろうかを思う時、あの親和性にみちた、自然と一体化し、笑い合って、大人も子供も遊ぶ文明を取り戻したいとは思いませんか?

魔女:加藤恵子