本大好き人間による本・読書・収納を巡るエッセイ集
本好きが書いたエッセイは、本好きの私たちをいい気分にさせてくれる。『本の愉しみ、書棚の悩み』(アン・ファディマン著、相原真理子訳、草思社)も期待を裏切らない一冊である。内容もだが、表紙や各章の扉を飾っている、座り込んで熱心に本を読んでいる天使が、これまたかわいいのだ。
著者は、読書の一番大切なことは、「新しい本を買いたいかどうかではなく、長年つきあってきた本、わが子の肌のようにその手ざわりや色やにおいになじんだ古い本とのかかわりを、どう保っていくかという点だ」と述べている。ここに私の同類がいる。
「極地探検に失敗したイギリス人探検家のなかでも、もっともロマンチックなのは、アムンゼンに敗れたロバート・ファルコン・スコット大佐だろう。わたしは昔から彼にとくべつな好意を抱いている。スコットに関する本を十数冊もっているのは、ひとつには彼も隊員たちも本好きなタイプだったからだ」。著者の敗者に対する思い、読書を愛する仲間への親しみが伝わってくる。
「『読書を心から愛するものにとって、貸本屋の古い<トム・ジョーンズ>や<ウェークフィールドの牧師>の汚れたページやすりきれた表紙は・・・このうえなく美しいものにうつるだろう』と、チャールズ・ラムは書いている。『それらは何千もの人間が、わくわくしながらページをめくったことの証しだ・・・汚れているままでよいと思わないもの、これ以上望ましい状態があると思うものがいるだろうか?』。まずいないと思う。わたしの知っているある造園家は、植物学のテキストにはさまっている泥のにおいを楽しむという。それはいわば彼のライフワークを凝縮したものなのだ」。この感じ、分かるなあ。学生時代に愛読した、私の本棚の『トム・ジョウンズ』(ヘンリー・フィールディング著、朱牟田夏雄訳、岩波文庫、全4冊)も、カヴァーのパラフィン紙が日焼けしてぼろぼろになってしまっている。
「『それからどうなったの?』。現在スタンフォード大学で古典文学を教えている(友人の)モードにきいた。『その(学生時代に、献辞を添えてウェルギリウスの著書をプレゼントしてくれた)学生とは一度も寝なかったわ』と、彼女は答えた、『でもウェルギリウスにはすっかりほれこんで、その本とは何度もいっしょに寝てるの』」。何と洒落た言い回しではないか。
「おそらく史上最高の読書家である(トマス・バビントン・)マコーリーと趣味が同じだと知って、とてもうれしかった。彼は3歳で読みはじめ、59歳のとき、ひらいた本を目の前において死んだ。・・・『これほど本が好きで、死者と対話し、架空の世界に生きることができるのは、なんと幸せなことか!』と、彼は友人に書き送っている」。
「食べ物についてのすぐれた描写は、退廃的な満腹感ではなく、空腹と結びついている。あのポテトサラダを食べたとき、ヘミングウェイははらぺこだった。トム・ジョーンズは24時間絶食した後に3ポンド分のローストビーフを平らげ、しかるのちにミセス・ウォーターズを賞味したのだ」。さすが、美食家で色好みのトム・ジョーンズ、やるなあ。
「その気持ちはよくわかる。読むことに関してはわたしも同じだ。いちばん望ましいのは本だが、何もなければウォーターピックの使用説明書でもかまわない。小さな町のモーテルで、夜、電話帳の職業別ページを読んでひとり居のさびしさをまぎらしたことが何度もある。はるか昔、どうしても寝つけなかったとき、ル-ムメイトがもっていた1974年型トヨタカローラの取扱書をじっくり読んだこともある」。活字中毒の私も似たようなことをしているから、著者を笑えない。
「数年前、『本とその収納』という題の古本を買った。・・・ハードカバーだが、中身は29ページしかない。著者の名前がグラッドストンであることを意識にとめてはいたが、それがあの(4度、イギリスの首相を務めたウィリアム・)グラッドストンだとは思いもしなかった」。実は、この本は大変な本だったのである。溢れ返る蔵書に対するグラッドストンの対応策が、実に緻密で興味深い。「グラッドストンは整然とした効率のよいシステムを大英帝国にもたらすことを切望したが、多くの場合それは実現しなかった。だが彼は自分の書庫という小さな帝国にもそのシステムをとりいれようとし、それには成功した」からだ。「本を買い、読み、注をつけ、索引をつけ、収納し、本について書くことで、グラッドストンは(政治家としての)たいへんな重圧から逃れることができたのだと思う」。本に関わっている時間は、嫌なことを忘れられるからなあ。
「古本は好きでないという人もいる。デリケートな読者は、しみや汚れがついていたり、アンダーラインがひいてあったり、ひからびたトーストのかけらがはさまっていたりする本は、中古の下着と同じで、気色悪いと感じるのだろう。・・・自分が一冊の本を順に所有していくおおぜいの人間のひとりであるという感覚を、楽しむようになった。希少本の収集家が喜ぶ、まっさらのままの初版本――書きこみもサインも蔵書票もない――には、いまではまったく興をそそられない」。この点も共感できるなあ。
本好きの読者は、本と読書と収納に関する14のエッセイのそれぞれに、思わず頷いてしまうことだろう。