充実しすぎていて、とても紹介しきれない。現代社会を見通す手がかりにもなる。是非読むことをお勧めする最良の批評だ。
『明治の表象空間』松浦寿輝著、を読む。
すごい、久しぶりになった。少しはましな本を読まないと馬鹿になると思い、大部の本を選択したのはいいのだが、735ページの本を読み切るのに2カ月を要してしまったのは、ご存知のように、私の老人性多動の弊害である。しかし、この本を読みながら書き写したものが54枚にもなっていると言う事は、その記述に如何に私が感心していたかの証左でもある。著者の松浦寿輝氏は詩人であり、小説家であり、文芸評論家であり、フランス文学者であり、東大教授であった。東大教授は2012年に早期退職されている。そして、大の猫好き。その松浦氏が構想16年、5年にわたって雑誌『新潮』に連載された作品で氏はみずからこれまでの集大成と言われている。
まずはじめに驚いた点は、最近ではほとんどお目に掛らない非常に珍しい単語が頻繁に出て来ると言う点であった。つまり本書でも中心的に取り上げられている文体である。ワードで書き写していても先ず一発で出てこない単語が多いのだ。そればかりではなくて、読めない単語も頻発した。最近の本を読む過程でこのような経験をすることはまれである。ワープロ打ちが通常となった現在、言葉を選ぶ作業に心を砕いていない証拠である。さすがに詩人であり、後に述べるが、言文一致体により何が置き去りにされたのかを縷々述べる本書が、まさに言葉の精密さを極限まで選んだということに置いて、私たちは深く反省させられることなのである。
表象と言うとともかく絵画的、視覚的なものを対象とした批評かと思われようが本作は
徹底して文字をもって表出された様々なものによって明治と言う時代に何が目指され、何が潰され、何がいかに現代に引き継がれたかを検証したものである。その検討されたものが、文学作品に限らなかったという点で、近代日本史、法制史、政治思想史、文学史にまたがる明治と言う時代を俯瞰することのできる壮大な作品となっている。氏は「考察と分析の主題は、内務省や警察をはじめとする行政制度、近代刑法典の記述システムの変遷、「漢文体」から「言文一致」へという書き言葉の変容、民権と国権の葛藤をめぐる政治思想、博物学と言語学におけるシステム論的思考の誕生、「社会進化論」が及ぼした歴史期日への影響、教育勅語に圧縮された近代天皇制のイデオロギー、さらには北村透谷・樋口一葉・幸田露伴の文業の歴史的意味など、多岐にわたる。太政官布告から国語辞書の項目まで、歴史記述から抒情詩まで、法言語から新聞の報道記事まで、女性への人生訓から中国古典の考証まで、この時期の言説アーカイヴの総体を横断的に俯瞰し、「表象空間」のダイナミズムを特徴づける主要な力点と結節点の在り処をうかびあがらせようと努めた。・・・本書における筆者の野心は、学問分野ごとに仕切られた資料体の分類の枠をとりあえず全部外してみて、そこに出現する、あらゆる種類、あらゆる水準の言語記号が、蕪雑な混沌状態で無方向的に立ち騒ぐアーカイヴを一挙に横断してみることにあった。そして、その横断の運動とともに浮上してくる際立った「表象的風景」の、幾本かの特異的な輪郭線の描出を試みること。そうした試行の成果として、本書全体の議論は、最終的にはとりあえず、「理性」「システム」「時間」という三つの「系列」に収束することとなった。・・・既存の学問分野内部デノコンヴェンショナルな議論を多少なりとも超え出た、何らかの新しい「表象的風景」を出現させているかどうか。それは読者諸賢の評価を俟つほかない」。
本書の多彩な論点を紹介するのは力がないが、印象的ないくつかは提示できると思う。たとえば明治期に最も追求された近代性に「啓蒙」と言う概念が存在するが、その旗主としてこれまであげられてきた福沢諭吉について、そのプラグマティズムの優秀さが逆に民衆を平板な認識論へ導き、結果として明治国家の体制の基盤となって行く学説を逆説を詳細に証明している。
「啓蒙」というイデオロギー
福沢諭吉の言説には、基本的に「現在」しかない。文明史の沿革が辿り直されるとしても、それは「現在」の基盤をなすものを浮き彫りにすることを目的としてでしかないし、「脱亜論」のような形で中国や朝鮮と日本との関係の「将来」が問題化されるとしても、それはあくまで「現在」の合理的延長として表象できるかぎりの「将来」であって、未だ来たらざる未知のものの還元不可能な不透明性に彼の思考が向けられることはない。かくして、絶えず「現在」と連動することのみを望み、「現在」にとって無意味な知的仮構にはいっさい興味をしめさないことから帰結する高度の実効性によって、」福沢の啓蒙的にして合理的な言説は、森田思軒のような観念的な知識人の思弁よりも絶えず優位に立つことになる。
というのも、思軒の言説は、抽象的正論の断片をそこかしこにちりばめつつも、結局は「現在」を取り逃がした思考でしかないからだ。洋学に敗北し去った漢学への懐旧において、「自由及び啓蒙」の媒体たりえない「漢文体」への執着において、そして何よりも、言論のプラグマティズムとはまったく背馳する「予言」というむようにして迂遠な記号形式において、それは「現在」からは絶えずずれてあるほかない。だが、同時代の言説空間とのこのずれを十分に意識しつつ、「自由及び啓蒙」の近代主義にあえて異をとなえている思軒の「知識人」的姿勢に孕まれた反=民主主義的な批評性を、われわれはここで積極的に評価しむしろそちらの方に荷担してみたい。そこに、福沢のプラグマティズムの限界を際立たせる対照例が認められるように見えるからだ。
維新以来ほぼ日清戦争あたりまで明治前半期に進行したものは、啓蒙的合理主義というイデオロギーの普及、というよりもむしろその専制の徹底化である。内務省の創出をはじめとする官僚制の整備においても、新律綱領から旧刑法へと進化する刑罰規定の改革においても、小説言語に先導された「言文一致体」の汎用化においても、いずれの場合であれ運動を推進する本質的原理となっていたものは、ひとことで言えば啓蒙的合理主義であり、理性への信仰であった。その原理を鼓吹した最大のイデオローグこそ福沢諭吉にほかならないが、「啓蒙」がそれ自体一つのイデオロギーであるという視点はむしろ彼自身には完全に欠如していた」。
これに対して心底深く考え抜いた人物として明治国家のイデオロギーに徹底的に対峙したのが中江兆民である。「それら正論に内在する恫喝的な権力性に抵抗したのが中江兆民である。正論に対して懐疑を、「啓蒙=光」に対して不透明な混濁を差し向けようとしたものが彼の言説的実践であり、そこから産み落とされたもっとも強力なテクストこそ『三酔人経綸問答』にほかならない。・・・では、かくして正論の脱構築に終始する『三酔人経綸問答』の全体とは、結局何なのか。これこそまさに、無際限の自由が保障された理性の公的止揚による「論議=推論」の実践なのであり、これ以外の何ものでもない。超民は理性を、何らかの特定の解決のために使用しているのではない。ここにあるのは、「理性がそれ自身以外の目的を持たないような理性の使用」にほかならない。この「一時遊戯の作」の全体は、フーコーのいわゆる「論議するために論議すること」の徹底的な実践なのである。
「啓蒙」的言説が無力化した後に現れた最大の知識人たる兆民が、その恐るべき「稚気」によって書き上げたこの「一時遊戯の作」には、福沢諭吉がかつて知らなかったような懐疑が漲っている。福沢と兆民を隔てているものは、正論を信じられた世代の楽天性と、言説の正しさをめぐって無力感に囚われざるをえなくなった世代の懐疑主義との間の差異にほかならない。『三酔人経綸問答』は「啓蒙」的言説の空位期に出現しためざましい懐疑論的著作であり、その形式にも文体にも修辞にも、それが置かれた言説状況に内在する負の歴史性のアクチュアリティがなまなましく刻みこまれている」
この著作では著名な人物が各所に現れるのであるが、それと共に、明治国家が近代化と共に整備して行く法律の言説についての大変興味深い考察がある。権力と言説である。例えば「改定律例」に初めて条文に番号が付されたこと。そんなことは当たり前だと思っていたが、そうか。それまでは一つ何々、となっていたのか?またその内容が抽象化される。それまでは、刑罰のスペクタル性が見られたものが、如何に近代化によって「合法的支配」を文章化するかの過程が実に興味深い。その中でも、特質すべきは「国体」概念が如何に持ち出されるか、そして、「教育勅語」の摩訶不思議な文体と内容そしてそこにおける天皇とは何なのか。簡単には紹介できないが、一言で言うと「教育勅語」は内容が何もないと言う点なのだ。さらにそこでは天皇も何も命じてはいない。しかしこれを松浦は次のように書いている。
至尊の空言
天皇は命令する
「命令」性の削減に正確に比例して増大したこの親密さが、共感と同調を誘う。それこそまさに、教育勅語の受容の現場で生起したことにほかならない。結局これは、文体論的にも制度的にもあからさまな強制力が隠蔽されているだけに、情動的に派それによってかえって強制力の強まった、隠微にして倒錯的な「命令」の発話なのである。それは字面の上では「命令」性を削ぎ落とした「祈念」と「共感強制」の装置なのだが、まさにそのこと自体によって、これ以上ないほど有効に命じたのだ。何を?「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼」することを、である。
つまり、結果的に井上毅は最良の「命令」装置を洗練し遂げたと言うべきなのである。それを為しえたのがこの言説の発信にまったく賛同していなかった井上で、それを発信したくてたまらなかった元田永孚でなかったという事実には、繰り返すが、まことに意義深い歴史のアイロニーが含まれている。元田は井上宛ての書簡(8月31日付)で、井上の「荘重温雅に重複を避け、且文人風の繊巧をもちいず」という方針を「素より御名言」と一応称えたうえで、ただし、この詔勅が「成功」を収めるために、それを実効力ある言説として「成功」させまいとする井上の官僚的配慮が不可欠だったという、この皮肉きわまるパラドックス。
「勅諭」の論理構成のアクロバットが成立するうえで、以上のような「命令の隠蔽」が大きな役割を果たしたことは言うまでもない。ここに提起されているのは、人々の共感と同調をもとめずにいられない或る弱さを内在させた天皇―命じるのではなく「庶幾フ」天皇イメージであり、それが、法体系によってその権威を正統化させた強大な権力者という、帝国憲法に表象された天皇イメージを、情緒的に補完する。共感と同調のうちにあらかじめ批判意識を眠り込まされてしまった観客の眼には、言説主体が舞台上で演じる、自分自身で自分自身を宙空に吊り下げるという奇術パホーマンスも、ごく自然な光景と映ってしまうことになる。権威の声で命じられて、強いられてしかたなくその命令を受け入れるのではなく、「朕爾臣民ト俱ニ」と穏やかに誘われることで、単に情緒的に納得してしまうのだ。「臣民之良心之自由」を不可侵の聖域として確保しようとした近代主義者井上は、それに干渉せずにはおかない「命令」の強制性を何んとか矯めようと努めたが、その努力それ自体によって結果的にはかえってこの「自由」の聖域を本質的に侵食する比類のない権能を秘めたテクストを書き上げてしまったのである。
教育勅語における命令しない天皇は、プロイセン流の強圧的な絶対君主ではなく、「朕爾臣民ト俱ニ」何かを祈念する一種の神主のような存在として立ち現われている。井上はこの勅語から宗教臭を一掃したいと考え、それが中村正直草案に対する彼の批判の主眼点でもあったわけだが、井上案に素描された天皇像に、一種そこはかとなく隠微な宗教性が回帰していることは否定しがたい。だが、アニミスティックな原始宗教の祭司としての天皇と近代的なネーション・ステートの長としての天皇とは、いったいどういう形で重なり合っているのだろうか」。
この指摘は重要だ。なぜ、命令のない「教育勅語」が国民をあれほどまでに縛り、戦争への突入を許してゆく文脈を認識しなければならないからだ。
さて、このような国家論とともに著者が力説して書いたものが文学における近代性とは何であったのかである。松浦が捉えた言語の問題における意外な指摘は何か心を揺さぶられる。すなわち、近代化、あるいはその後の文学の流れを作ったと言われる「言文一致体」というものの、問い返しである。松浦はその流れから自ら外へ出て、「漢文崩し体」で書いた北村透谷、「雅俗折衷」の樋口一葉、晩年になり「考証」という作品に身を置いた幸田露伴のそれぞれが、実は最も近代と言う物の本質を深く探りながら作品化する過程で、言文一致体の表層に流れてしまう言説を理解したがための文体であったという理解は素晴らしいと思う。
「「言文一致体」で書けるようになった「内面」があるとして、それは所詮、たかだか「言文一致体」で書ける程度の「内面」でしかない。もっと言うならそれは、「言文一致体」によって初めて書けるようになったというよりはむしろ、「言文一致体」によって捏造された「内面」であろう。決意によってか運命的にか、そうしたものに背を向けざるをえなかった透谷は結果的に、「近代日本文学の秩序」の外に弾き出されてゆくほかはない。「透谷が秘宮を表白しようと全身的になればなるだけ、日本の近代は彼を疎外し進行していくのである。疎外するだけではない。最終的には日本近代は透谷を圧殺しつくしていくのである」(「秘宮は日本近代にありうるか」)
真に「近代」の側に位置するのははたしてどちらなのかという問いである。言うまでもなく、透谷こそが「近代」の側にあるとわれわれは考える。ほとんど独力で「近代」を開くや、同時にそれを不可能性の時空に一挙に封じ込めてしまったのは他ならぬ透谷なのである。
山田有策は「「言文一致」の理論や運動の結果としての口語文化はまさしく日本の近代と一体化したもの」だとしたうえで、そこから「切り捨てられ、言語文化の深層へと追い込まれていく文語体が体現する世界の意味やイメージがあまりに巨大かつ魅力的でありすぎる」ことと対比しつつ、「「言文一致」のはてなるところ」としてのわれわれの現在の文化状況の貧しさと乏しさを慨嘆している。そして彼はその慨嘆を、きわめて婉曲かつ慎重な言いかたでこう締め括っている。
妄想どころか、然り、そんな「近代」など幻想にすぎなかったのだと端的に言いきるべきだろう。「内部=秘宮」ならざる単なる「内面=心宮」を表白することしか許さない「近代日本文学の秩序」など、はかない蜃気楼でしかなかったと冷酷に言い、していっこうに構うまい。なぜなら、その一方で、幻想ならざる現実の近代がたしかに実在し、そのモデルニテは、透谷のみならず少なからぬ数の作家や詩人たちの作品において、きわめて具体的かつ物質的な言語体験として結晶しているからである。むろんそれは、「表現」されたり「表白」されたりしているわけではなくーなぜならあたかも「空白の桝目」を充填するようにしてそれを「表現」「表白」するのは不可能性であるという認識こそ、その現実の近代の本質そのものであるから、漱石に『猫』や『坑夫』や漢詩があり(『こころ』や『道草』や『明暗』ではなく)。鴎外には「近代的自我」とは無縁の後期の史伝群があって、それらがあの「内面」から多かれ少なかれはみ出したエクリチュールの実践であり、そのことごとくを包含した大きな言語創造をないしえたところに彼らの知識人としての傑出した度量があったことは事実である。他方、たかだか「言文一致」によって表現可能になった程度の「風景」や「内面」などには最初から洟も引っ掛けず、「鴎外を頂点として形成」されていった「近代日本文学の秩序」(山田有策)に取り込まれることを頑として拒みながら、あの「空白の桝目」にのみ衝き動かされ、透明な「内面」ならざる空白の「内部」という不可能性のトポスを日本語によって浮かび上がらせようと試みた一群の作家や詩人たちが、日本の現実の近代に実在したこともまた事実である。
そのとき、彼らが文語で書いたか口語でかいたかという差異は、実のところ真に「関与的」なパラメーターではない。真の問題は、口語散文の成立とともに立ち上がった「秩序」を自然なものと見なし、そのうちに安住して「空白の桝目」をせっせと埋めることに専心するか、それともその「秩序」を自明な環境として受け入れることを拒み、言語の不透明な物質性が差し向けてくるしぶとい抵抗との徹底的な格闘に身を投じるか、この二者択一の選択に或る。いずれにせよ、国木田独歩によって創始され有象無象の私小説等に形象されてゆく「風景」と「内面」のエクリチュールなど、「近代」文学にあって最初から最後まで傍系でしかなく、その爽快な没落のさまは今や白日の下にさらけ出されている。
透谷、一葉、露伴、鏡花、そしてさらに時代を下れば言語の物質性の露出によって絶えず「風景」からも「内面」からも大胆に逸脱しつづけた内田百閒や吉田健一こそ、「近代」のもっとも過敏な特異点に触れえた作家たちなのであり、彼らが自己の全存在を賭けて織上げた限界的テクスト群の傍らに置くとき、漱石のお説教臭い通俗小説やら鴎外の華麗な」文体見本帳やらは、所詮、知識人の慰戯の域を超えるものではない。そして、「近代」の核心に触れえなかった二流作家の制度性を撃って大見得を切る批評の力業もまた、言語の物質性と出会いそこねて空をきるほかない」。実に強力な力技の近代文学論だ。漱石も鴎外もどうでもよくなって来るのだ。最終的に樋口一葉の「お力」の独白の分析が秀逸である。
最後に注目すべきは文学論、あるいは表象論であるべき本書において強く語られるのが権力論であるという点である。
卑近な権力
メディア空間の内部に取り込まれた民衆は、共同体の撹乱者として非難されることを恐れ、地位や感触を盾にとってお上が押し付けて来る「小さな正論」の数々に唯々諾々と従うことになる。そして、そうした積極的順応のエートスは、昭和20年8月15日で消滅したわけでは恐らくない。「1968」という符牒で呼ばれる一過性の反乱の季節が遠い過去の記憶として風化し、感傷的に回顧される胡乱な英雄伝説と化した21世紀初頭の今日の日本で、権力による馴致をむしろ積極的に受容しようとする心身的な態勢は社会の種主様々な場面でますます強化されつつあるように見える。
しかし、みずからの正しさに疑いを持たず、その正しさの自明性への信を自他に向けて誇示している言説としてーすなわち「小さな正論」として「理性」が現象するとき、そうした言説の発信はあからさまな権力の発動たることを免れず、その受信者を否応なしに抑圧する。「明治の表象空間」で起きたのはそれであり、またその抑圧はわれわれが身を置く現在とも決して無縁ではない。「大きな正論」の機能不全と「小さな正論」のしょうけつの対比は、明治中期で言うなら社会進化論の「左」旋回の敗北と「右」旋回の勝利という構図にほぼ対応していると言ってよい。
「小さな正論」はなぜそれほどの猛威を揮いえたのか。実際、人々は明らかに「ちいさな正論」による抑圧を好んでいるかに見える。それは恐らく、「小さい正論」の受容が共同体への自身の所属感を強化してくれるからというだけのりゆうによるものではない。それにもましてまず第一にあるのは、「大きな正論」への嫌悪―本能からも感情からも自己を切り離して屹立する「理性」それ自体がまとう理念的な威圧感への、ほとんど本能的な忌避感情なのではないか。あくまで普遍的たらんとする「大きな正論」が突きつけてくる抑圧を厭うあまり、それならむしろこちらの方がまだましもと感じ、消極的な選択肢として「小さな正論」の方を受け入れてしまうということだ。「理性のけちな使用」であることの卑小性があまりにもあからさまであるがゆえに、それによって発せられた言説は受信者にとってむしろかえってたやすく受容し嚥下しうるものと化す。結果的に、それに易々と屈してしまう自身の個としての弱さに人はいかなる罪障感も覚えず、無自覚なまま翻ってみずからけちな権力主体と化し、その同じ恫喝的な「小さな正論」を身近な他者へつい回付たりもしてしまう。
他方、言説の発信者の側はどうか。「委託された市民としての地位もしくは官職において」かたっているだけでしかない以上、発せられた言説の帰趨に彼の責任が彼自身の個人名において問われるわけではない。それは普遍的な真理の主張といったご大層なものではないのはもとより、発信者が自身の下で行なう個人的な意志や願望の表明でもない。「ちいさな正論」とは、それら両者のちょうど中間の曖昧な境昧を漂う、ほどほどに公的ではあっても徹底して公共的であるわけではない当為や命令の言説にすぎず、その発信者は終始、地位や官職という仮面の陰に自分を隠したままでいることができる。誰も彼もが嬉々としてそれを口にするのは、その内容に個人として責任を取る必要がなく、かつまたそれを発話するたびにけちな権力者としての自己を確認しけちな権勢欲を満足させることができるからだ。彼は普遍性への通路を持った知識人ではむしろなく、従って「大きな正論」を発することの責任には耐ええない。他方、「理性のけちな使用」による「けちな正論」ならば何の抵抗感も覚えず、いくらでも恬として無造作に発信できてしまう。
「非理性」はたとえ崇拝や信仰の対象であったにせよ、権力の主体であったためしはない。権力を揮ったのは、そして「非理性」の権威がもはや権利上は消滅しているはずの今日の日本の現今に権力を揮いつつあるのは、卑小であるだけにいっそう悪質で始末に負えない「小さな正論」の群れであり、その正しさの根拠をなす準拠枠をなす小文字の「理性」-私的に使用された「理性」-の非人称的な集合体である。悪名高い日本の官僚制の根幹をなすのは、みずからが行なっているこうした卑小な権力ゲームへの無自覚と無反性いがいのなにものでもない。
この厳しい指摘は、今日われわれが危機に至っている民主主義の基本に関わる問題である。無感動であってはならない、非道・非常な官僚は馬鹿なのではないのだ。私たちは、「理性」を完全成るものにする努力を怠ってはならないのだ。面倒な思考を避けてはならないのだ。深く考え、体制の外へ出る勇気を持たねばならないのだ。戦前が再現される風潮に抗うためには自ら考えることがどれほど大切か、どうぞ、みなさん貴重な本です。読まれることを期待します。
魔女:加藤恵子