魔女の本領
こんな歴史はありゃせんのですが…

一路

『一路(上)(下)』


時代小説って、こんなに真面目に、軽やかに書けるもんだと感服いたして候也。

元来、歴史小説は好きで、かなり読んでいる。古くは子母澤寛の破れ去ってゆく幕末の徳川幕臣の姿を描いた作品が好きであった。吉川英治も読んだし、これはひとに自慢できるのだが中里介山の「大菩薩峠」を読破している。近年では藤沢周平の静謐で端正な作品も好きである。もちろん、山田風太郎の「くのいち」だって大好き。ところが、近年の作品については、実はあんまり関心がなかった。現代作家の作品に自分がついていけてないことを自覚していたからである。ところが、浅田次郎の作品を読もうとおもったのは、かれが作家協会のトップだったからで、偉そうなことを書いていたら、もう現代作家は見限ってやるというひどく不純な、傲慢な私の気分で手に取ったのである。そして、これはやられた。めちゃくちゃ面白いのである。そして泣かせる。なぜならがんばればなんとかなると言う点もあるが、何も望まない努力(作品では一所懸命と書いている)が周囲を動かし、更にはうつけを装ったり、ボケを装ったりともかくこの世で生きづらい立場の人々のここぞと言う時に発揮する本来の資質によって、すべてが良き方へと流れて行く。こんなことは多分現在にはあり得ないだろう。しかしあったらすばらしいなとおもわせる作品になっているのである。

時は桜田門外の変が起きた頃、わずか7500石、交代寄合の蒔坂(まいさか)藩の御殿様、主計頭様はなぜか大名でもないのに参勤交代の義務を負っている。この蒔坂藩の重臣2名が急死する。ひとりは脳卒中、一人は役家の失火での焼死。急遽藩元に呼び戻された、小野寺一路(火事で急死した方の息子)は、失火の責任を取らされる代わりに参勤交代の供頭を命じられる。この職務が全うされた暁に、罪が免じられ家督相続がゆるされるという危機的な状況下での命令である。一路は江戸で剣と学問にはげんでいたために、父親から参勤交代の供頭の仕事などなにも知らされていない。そして、それを助ける役としてこれも何も知らない青びょうたんのような供頭添役が脳卒中で急死した重心の息子。さて、どするか?焼け跡で思案に暮れる一路に下男として仕えていた与平が仏壇近くで焼け残った文箱を一路に渡した。その中から出てきたのが「御供頭心得」。何だかえらく古臭い巻物で、これが役にも立つとは思わなかったが、周囲はすべて奉領屋敷を焼いた罪人として口きく人もいない(どうやらうらがあるらしい)。仕方なしに、この巻物を手がかりに参勤交代を実施しようとするのである。その一条が凄い。参勤交代之御行列ハ行軍也。無茶苦茶である。ところが一路の前に次々とおかしな人物が助っ人に現れる。汚い占い坊主、流しの髪結。必ず博打にまける渡世人。種を明かせば、これらは全部うつけを装っていた蒔坂の殿様を助けるための将軍家茂の遣わしたお庭番とその仲間なのである。うつけの殿様は、先代が男子がなく養子に迎えた後に実子が出来たため、その養子を廃嫡していた。それがお殿様の叔父にあたる蒔坂将監で、こいつがお家乗っ取りを画策していて、国元での重臣2名の死は、既に始まっていた乗っ取りの前段であったわけである。お殿様がうつけを装っていたのは、この将監に申し訳ないと言う気持ちと、蒔坂藩の存続の手段であったのだが、うつけぶりが楽しい。芝居狂いで、いつも長唄を歌っているわ、芝居小屋に役者の出待ちをして大目玉を食うわ、殿中で六法を踏む真似をして、長袴をふんずけてこけるわ、あとはほとんどなにもおおせにならない。というわけで馬鹿だと思われていた。

一路は道中の一度の失敗がすべてを決すると言う事に、やるっきゃないということになり、何だか変な巻物の通りに参勤交代を組織することになる。だいたい時代がかった巻物であるからして、先頭は金ぴかの鎧兜の武者人形のような大男(これもなんだか頭が弱いと思われた男だが、実はすごい働くのだ)、そして馬を売り損ねた汚い双子の馬喰を槍持ちに仕立て、その上売れ残りのぶちの馬をお殿様の控えの馬にする。そして、白雪というお殿様の馬に合わせて白く塗りたくって連れて行くのだが、この馬も話すんです。ついでに最後には、池の鯉まで話します。

一路が懸命に働くことで、参勤交代のすべての参加者がなんだか、一致団結して行く。中山道を行くのであるが、山坂で山崩れがあっても、川が雨で増水していても、何が何でも前進するのみ。300年の年月にあれも省略、これも安きに流れるということで来た参勤交代を戦時の行軍として実践するのであるから、日程も厳格。ゆったり何んと云う事はなし。お殿様もたまったものではない。しかしなぜかお殿様は一切愚痴を言われない。実は大変だったのだ。御駕籠のなかで足がつるた。しかしお殿様は、みなが歩いている時に自分はのんきに駕籠に乗っているだけで、足がつったとは言えない。そこでお殿様は一路をそばによび小声で言ったのである「小野寺・・・引け」「は、ただいま」「馬ではない、足引け」というわけで、武術の心得の或る一路はお殿様のつった足をなんとかもどして、あとはごまかすためにお殿様は馬に乗ったのであるが、それがいつもの白雪ではなく、替馬。これが堂々としているのだがなんか変。すこし、白いのに、名前が「ブチ」。お殿様が走らせるうちに、なんと塗りがはげて来て、だんだんと「ブチ」になるのであるが、みんなはこれは神馬だと納得してしまうのである。

途中、何度もの危機に会いながら、ともかく一路の必死さが周囲に広がり、宿場役人や通過する藩の役人やらが助太刀に回る。殿様は殿様で、うつけを装っていたのに、ところどころで本性があらわれて、将監の手下が命がけでお殿様の味方へと変わって行く。行軍途中、お殿様は熱を出して寝込んでしまうのであるが、参勤交代に遅刻はできないのだそうで、それを江戸表に報告しなくてはならない。しかしもう間に合わんと言う時、上野国安中の城下で板倉主計頭勝殷が助っ人に出て来る。なんとこのお殿様凄い体力自慢でなんでも「よおっし」とおおせられる。そして、この藩の特技は駆け足。馬より速いのである。この御家来が疾風の如く駆けだして、江戸表へ遅参の報告書を届けて事なきをえる。お殿様の熱は、なんと西洋医学を収め医者(実は将監に使われていた医者で、重臣2名は毒殺されていた)では治らず、効果がったのはネギ。頭にネギを貼り付け、白い所は味噌会えで食し、効果あり。お殿様曰く「ネギかよ」。医者はここでお殿様毒殺を命じられていたのであるが、医者の本分が蘇り、毒薬を処方しなかった。そして曰く「ネギかよ」。

その後も、なぜか一路を一目見て恋に落ちた加賀八万石のお姫様が、一路に会いたくて無理無理に行列を追いかけてきたりする。

しかし、暗殺者との戦いは終わりまで続き、お殿様自らが自力で逃れても、終にはここまでかと思われた時、あの常に負け続けていた渡世人が、どうやら将監によって滅ぼされた恨みをもって流れていた人物らしく、誰も手がさせなかった、将監を殺害して、お殿様を救い、そのまま消えてしまうのである。よれよれになりながら一路はお役目をはたして道中を終えるのであるが、重臣が死んでしまった始末がどう付けられたか。そこに将軍家茂の見る目があった。うつけと見られていたお殿様の本当の姿を信じていて、お庭番をつかわしてあったのである。そしてそして、大団円。なんとお殿様は加増されて一万石の大名にという提示がなされた。とお殿様は断ってしまいました。その理由。「自分は7500石を頑張って守って来た。自分の器に入る様に努めてきた。一万石は無理」。将軍様、居並ぶ幕閣から「バカ」・・・でも将軍様には理解がいった。自らも幼くして将軍に祭り上げられての苦労。将軍様は「僭越であった」とおおせられた。

こんな歴史はありゃせんのですが、みんなが本分を全うして、困難に会っている若者に手を貸そうとしようとする。これっていいじゃないのと私は思ったのである。そして一番出世したのは、桜なべ寸前であった馬の「ブチ」であった。将軍様のお馬になったのである。

読んで爽快。笑えるし、こんなご時世、それでもがんばろうと思う皆様にどうぞ。

魔女:加藤恵子