21世紀の今、権力は衰退しつつあるという大胆な主張
『権力の終焉』(モイセス・ナイム著、加藤万里子訳、日経BP社)の著書は、権力そのものが衰えつつある、権力は、より弱く、より移ろい易く、より制約されたものになりつつある――と、大胆に主張している。
本書では、「権力」は「他人に何かをさせる能力、またはさせない能力」と定義されている。
どのような状態より衰えつつあるのかというと、昔と比較しているのである。「権力によって昔のように多くを手に入れることはできない。21世紀の今、力は手に入れやすく、使いづらい――そして簡単に失われる。役員室や戦争の作戦地帯からサイバースペースにいたるまで、この力をめぐって相も変わらず激しい争いが展開されているが、そうした争いの結果生じる利益は減少しつつある」。
私のように、権力は衰退どころか、近年、ますます力を増していると感じている者に対して、著者はちゃんと先手を打っている。「争いの激しさが、権力そのものが儚くなっているという事実を覆い隠しているのである」。
「権力が消滅してしまったとか、絶大な権力を持つ人々がいなくなったというわけではない。たとえば、アメリカ大統領や中国の国家主席、JPモルガンやシェルオイルのCEOは、依然として絶大な力を誇っているし、それを言うならニューヨーク・タイムズの編集主幹も、国際通貨基金(IMF)の代表も、ローマ法王もしかりだ。ただし、その力は先代たちには及ばない。これらの地位に就いていた過去の人々には、現在ほど多くの挑戦者や競争相手がいなかっただけでなく、彼らが自らの権力を行使する際に、市民行動主義、世界市場、メディアの精査という形で束縛を受けることも少なかった。その結果、今日強い権力を行使する立場にある人々は、しばしば自らの犯した過ちに対して前任者たちよりも即座に、そして法外な高い代償を払うはめになる。そんな新たな現実への彼らの対応が、彼らが支配する人々の行動を変え、連鎖反応を引き起こし、それが人間の相互作用のあらゆる側面に影響を与えているのである。権力の劣化が世界を変えている」。
権力はなぜ優位を失ったのか、強い権力はなぜ絶滅の危機にあるのか、今後の世界を支配するのは誰か、企業支配の危機とは何か――といった設問に、国内政治、国際政治、ビジネス、軍事、メディア、宗教、その他の分野のそれぞれについて、著者は丁寧に答えようとしていて、その論証は説得力がある。
著者は、「現在眼の前で繰り広げられている戦いの先を思い描かず、権力のさらなる衰退も見据えずにいることで、私たちは大きな代償を払うことになるだろう」という危機感のもと、権力の衰退は利益か損失か、権力の衰退に対応して我々は何をすべきか――という問題に論を進めていく。
例えば、政治に関しては、このように提言している。「政党はその構造と方法をよりつながり合った世界に積極的に適応させなければならない。NGOが、比較的平坦でそれほど階層的でない構造によってさらに機敏で柔軟になり、メンバーたちの需要と期待により調和できたように、政党も同じような構造によって新しい党員を勧誘し、より敏捷になり、自分たちの課題を前進させ、うまくいけば、党の内外で力を手に入れようと狙っている危険な扇動者たちともっとうまく戦えるようになるかもしれない。NGOが支持者の信頼を獲得できたのは、自分たちが直截的な影響を与えられること、その努力がなくてはならないものであること、リーダーが責任観と透明性をそなえていて、邪悪なまたは未知の利益を受け取っていないことを、メンバーたちに実感させたからにほかならない。政党は、社会のより大きな部分からこれらと同じ感覚を引き出し、熱烈な支持者たちという従来の狭い基盤を超えて、広く党員を募ることができるようになる必要がある。それができてはじめて、すぐれた統治に必要な力を取り戻すことができるだろう」。
権力の価値が失われつつある状況の追究部分に比べると、権力衰退への対応策部分の迫力不足は否めないと感じるのは私だけだろうか。