『神の聖なる天使たち ジョン・ディーの精霊召喚 1581〜1607』
マニエリスムの大学者は何を求めたのか?ジョン・ディーの訳のわからない文書をみごとに読み解いたのが日本人?でびっくり!!
学魔が絶賛する『神の聖なる天使たち ジョン・ディーの精霊召喚 1581〜1607』横山茂雄著 を読む。
もちろん、ジョン・ディーと言う人物については知っていた。それを知ったのはフランセス・イェイツの著作においてである。我ながら、イェイツにぞっこんであったから、彼女の著作は手に入らなかった一冊を除いて、完全読破していたのであるが、その著作の多くに、ジョン・ディーが登場していて、16世紀において英国、そしてヨーロッパにおいて魔術、科学、哲学、文学、政治が混然一体となり、とくに政治の世界に大きく絡んでいる存在として、ディーは特別に大きな存在であったというのがイェイツの主張であった。イェイツによれば、ディーは「ルネサンスの万能人」でエリザベス朝イングランドにおいて「最も重要な人物のひとり」であり、その世界観は「半ば魔術的でありながら17世紀へ向かう」世界観として思想史的に重要であるという位置ずけであった。このイェイツの評価が、今日完全に否定されていると言う事を本書で知って、私は愕然としてしまったのである。まさに「うそーーー」という感じである。70年代に世界的な潮流として、オカルティズム、魔術、錬金術などが科学の先駆けであり、その哲学的な深遠さがおおきく扱われ、イェイツを筆頭にヴァールブルク派の描く英国ルネサンス観が完全に支配していたし、私もそう理解してきた。ところが、絶賛を浴びていた当時から、すでに一部研究者から強い批判を浴びていて、その流れは次第に強くなり1979年には、ブライアン・ヴィカーズによる激烈な批判論文「フランセス・イェイツと歴史の記述」が登場した。ヴィーカーズは、『薔薇十字の覚性』が憶測、推断、誇張によって歴史的事実を大きく歪めた書物だと断定―彼によれば、近代科学は薔薇十字運動に代表される魔術、オカルティズムを母体として出現したというイェイツの主張は、「砂上どころか空中の楼閣にすぎない」。ヴィカーズは、この論文の5年後には、『ルネサンス期におけるオカルト的思考と科学的思考』を編集して、ヴァールブルク派のルネサンス思想の解釈に再び熾烈な批判を浴びせたのだそうで、全然知らなかった。実際にところ、80年代半ば以降はイェイツの学説は学界では急速に支持を失っていき、ことディー研究に限定してみても、彼女を批判、否定する視点、あるいは、少なくとも距離をおいた立場から執筆された論文や書物が目につくようになる。最近ではそちらが圧倒的に多数派だといって過言ではないそうである。イエィツが打倒されていたとはびっくりである。
本書はこの問題について書かれたものではない。むしろ、イェイツが正確に論じなかった、ディーの後半生の精霊、天使との交信という部分を綿密に分析することで、ディーの本来の姿を描き出した点でとてつもなく、エリザベス朝とヨーロッパの動きにディーは影響を与えたのか、あるいは逆にまやかしの魔術に翻弄されて、何も得ることなく生涯を終えたのか、それでもディーが何を求めたのか、イェイツのかなり単純化した魔術と政治というスタイルを突き抜けて、非常にスリリングな読物となっている。
本書が中核に置いたのはディーの『精霊日誌』なる本である。それは精霊との交信を著したものであるがこの書籍についてはイェイツも彼女のルネッサンスの主題の一貫性からして低い評価を与えざるを得なかったようであるが、この評価について研究の必要性を挙げたのは1982年ウェイン・シューメーカー『ルネサンスの奇書』においてであり、その後1988年ニコラス・H・クルリーの『ジョン・ディーの自然哲学』がある。この後クルリーの堅実な研究成果を踏まえて、1990年代末以降、ディーの精霊召喚作業を重視した幾つかの研究書や伝記がようやく刊行されるようになった。要するに、ディーの精霊召喚作業について真摯な研究がなされはじめたのは、ごく近年のことに属する。つまり、『精霊日誌』の刊行から数えても、三百数十年という歳月を要したというのである。
ディーの遺した文書は、彼の全業績のなかで量的に突出すのは、実は精霊との交信に占められていたといっても過言ではないようだ。彼は天使からの啓示にほとんどすべてを賭けていた。天使との交信を無視しては、如何なるディー像も描くことはできないというのが、現在のディーをめぐるルネサンス研究の位置であり、そこに本書は焦点を当てているということで、見事な研究書になっているわけである。
著者が述べているように、ディーの後半生、50歳を過ぎてから彼が超自然的存在との交信に傾注したのは、単に魔術、オカルティズムへの関心とか、興味という「月並みな言葉ではとてもいいあらわせない程の過剰さを孕み、わたしたちの生半可な解釈を拒む」からだと書かれている。ディーの目的は何だったのか、単純には言えないが、彼が渇望した真理、即ち世界の秘密、神の絶対的智識を天使が提示」してくれることを求めた。その天使との交信に絶対的な期待をもって没入したと言うことのようである。その事が、次第に錬金術の作業と連動して行くことで、エリザベス朝からも受け入れられず、プラハからも追放されるという結果を生んだようだが、ディーにとっては錬金術も単に賢者の石を得ると言う目的よりは、地上の知識の完成のためには天上界より直接に授けられる知識を渇望したと言う点に、あったようである。
大体の脈絡は理解したのであるが、このあとが大変なのが本書の特色である。話し半分に魔術を聞いていられないのである。学魔高山師も帯びに書いておられるが、ほぼ暗号解読の過程が書かれている。信じなければ前に読み進められない。へんてこりんな記号が何を意味するかなんて、「えーー、そうなの?」としか判断できない。よくまーこの研究に科学研究費が下りたものだと感服した程である。詳細は是非本書を読んでいただくと、面白いのでおすすめである。
さて、本書の半分以上を占めるのは、その精霊召喚魔術によるディーとそれを介在した、スクライアーのエドワード・ケリーと言う人物のからみあいである。ディー自身は小道具としての水晶球(これも突然現れている)の中になにも見ることはできず、ケリーが見たり、聞いたりする天使の伝言をディーが受け取るという関係である。ケリーについては詐欺師と言う評価がついて廻ったようであるが、現在では、かれもまた錬金術に長けた人物であったという評価がされているようだ。初めのうちはいわば幻影がみえたという段階を経て、ディーにとって貴重な品物が天使から下されるという段階になる(まー現代的に身も蓋もないいいかたをすれば、ケリーがあらかじめ埋めて置いたものを、天使との交信で得たしじとしてディーに発見させたのだろう)。
その発見物が地上界での最高の叡智である「賢者の石」にからむ金属、すなわち錬金術の基本としての、金属であったりする。このようなディーとケリーの関係はやがてケリーは優位に立つようになるのだが、それ以前に、イェイツもその点は外していないことは、ディーは当時最高の知識人であり、英国最大の蔵書を誇っていた。そして実験室、実験所ももっていて、錬金術師としても力を持っていたことは明白である。しかしディーはその結果に満足できなかったのではないか。つまりディーは天上界からの力をかりて、一気に錬金の奥義を入手しようとしたのではないか。つまりディーの錬金術はいいかげんな錬金術師とは一線を画するほどに深く、賢者の石を創出することが、天界との交流なしにはでき得ないと言う認識にたち、天使、精霊という存在の助けを借りて真の黄金の創出を実現しようとした。この点で、ディーの錬金術は霊的でありかつ科学的でもあるといえるかもしれない。
両者の結末は、ディーよりもケリーの方がイギリス、ボヘミアにおいて評価される事態になるのだが、ケリーはなぜか膨大な借財で逮捕される。その後も、ルドルフ皇帝からの招聘があったりしたようであるが、そこでふたたび幽閉され1608年に死亡。ディーのほうはイングランドでの名声は低下しマンチェスターの聖堂長に赴任したりしているが、金銭的に追い詰められ、霊的手段による盗品探しにまで手を染めたりしている。1609年に窮死したときは81歳であったという。
本書には一体何なのだと言う記述もある。ケリーによる天使の指示によって、なんとディーとケリーの夫婦交換、いわゆるスワッピングでディーの妻は娘が生まれるのである。多分ケリーの子供であるようだが、ディーは「神の新たな掟」による存在と認識したらしい。もう一点、ケリーがルドルフに呼びものされたり、再度幽閉されたりした背景であるが、彼が本物の金の粉末を創り出したのではないかと言う点である。それは、「ひとつの興味深い説として、ボヘミアにおける鉱山事業と関連づけるものがある。というのは、ケリーの後援者リョジェムベルクは、イーロヴェイにおける金鉱採掘事業の改善、効率化に熱心な人物であったからだ。同地の鉱山には10世紀以降からの鉱石の残滓が堆く積み上がっていたのだが、当時の最新先端の精錬技術によって、中世にあっては抽出不可能であった微量の金を、鉱石の残滓から水銀によって回収することが可能になった。そして、ケリーはまさにこの技術を高度な水準で駆使した人物で、ゆえに、ロジェムベルク、そして皇帝ルドルフに重用されたのではないかというのだ。」たしかに、確実性のある説ではある。
それにしても、イェイツで読んだディーがヨーロッパ、イギリスをまたにかけて大活躍した大知識人で、精神界と俗世の政治情勢に働きかけた哲学者だと思っていたのだが、大きく間違ってはいなかったけれど、かなり違って見えてきた。くやしいので、私が読んだイェイツの著作を列記しておく。
順不同
『記憶術』、『ヴァロワ・タペストリーの謎』、『星の処女神エリザベス女王』、『シェイクスピア最後の夢』、『魔術的ルネサンス エリザベス朝のオカルト哲学』、『星の処女神とガリアのヘラクレス』、『16世紀 フランスのアカデミー』、『薔薇十字の覚醒』、『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス教の伝統』、『ジョン・フローリオ シェイクスピア時代のイングランドにおける一イタリア人の生涯』、『世界劇場』。
魔女:加藤恵子