情熱の本箱
種本の説教節『さんせう太夫』の精神と役割を軽視した森鷗外の『山椒大夫』:情熱の本箱(278)

種本の説教節『さんせう太夫』の精神と役割を軽視した森鷗外の『山椒大夫』


情熱的読書人間・榎戸 誠

面白い本がないかと、朝日、毎日、読売、産経、日経の書評欄を毎週、見ているが、2019年6月30日付・読売の平野啓一郎の対談における森鷗外の『山椒大夫』に関する発言に目が吸い寄せられた。「不思議なのは、終盤の展開です。この小説は通常、母と引き裂かれた姉弟の苦難の物語として読まれます。様々な出来事を経て最後に厨子王は丹後の国守となり、奴隷の売買を禁じる。そこで話の展開からは唐突に、<(山椒)大夫が家では一時それを大きい損失のように思ったが、此時から農作も工匠の業も前に増して盛になって、一族はいよいよ富み栄えた>という一文が出てくる。なぜこんなことを書く必要があったのか。・・・鷗外は安寿と厨子王の物語を、単に山椒大夫個人の問題に帰して終わらせたくなかった。奴隷という制度があった社会の問題まで含んで書きたかったんですよ。その思いが一見、読み落としがちなこの一文に気づくことで分かってくる」。

そこで、早速、『山椒大夫・高瀬舟・阿部一族』(森鷗外著、角川文庫)を読み直してみると、平野の指摘する一文があっただけでなく、鷗外が種本にした説教節『さんせう太夫』(荒木繁・山本吉左右編注、平凡社・東洋文庫『説教節――山椒太夫・小栗判官他』所収)では、姉弟の額に逃亡を企てた罰として焼き鏝が当てられたのに、鷗外の『山椒大夫』では夢の話にすり替えられているではないか。さらに重要なことは、出世して丹後の国司となった厨子王の山椒太夫への報復場面――山椒太夫の残忍な三男・三郎に父の首を三日三晩かけて竹鋸で切り落とさせるシーンがすっぽりと抜け落ちているではないか。『山椒大夫』が子供向けに書かれたものであれば、残酷シーンの割愛・変更は已むを得ないだろうが、成人向けの歴史小説なのだから、もう少し違う扱い方の可能性を検討してもよかったのではないか。このため、平野の言う奴隷制度の告発も、中途半端に終わってしまっているように感じられる。

鷗外は私の一番好きな作家であるが、『山椒大夫』と『さんせう太夫』を読み比べてみると、『さんせう太夫考――中世の説教語り』(岩崎武夫著、平凡社ライブラリー)の主張に賛同せざるを得ない。『山椒大夫』に限っては、鷗外の持ち前の鋭い切れ味が影を潜めているとしか思えないのだ。「鷗外の作品(=『山椒大夫』)で、まず気のつくことは、さんせう太夫に向けての復讐の残酷さが削られていることであり、その復讐の場面のカットという問題と関連するが、づし王とさんせう太夫の間に、暗黙の和解が生まれていることである。このことについては、すでにいくつかの論述でふれられているが、これは調和や均衡のとれた口当りのいい作品として仕上げるのが鷗外の主眼であったからだと思われる。原典の説教『さんせう太夫』では、竹鋸で太夫の首を引くという非情な場面があり、太夫とづし王との間には、支配するものとされるものの関係が厳として貫かれている。その和解することのできない徹底した対立の深さと、それと分ち難く結びついている支配されるものの、いわばいきどころのない、閉ざされた情念の表出などに作品としての生命があったといえる。鷗外は、こうした対立を曖昧にしてしまい、近代的な破調のない世界にまとめあげることに急で、原典にあるような、支配されるものの凄じい情念の流れは切り捨てられている。しかしそのことはしばらく伏せるとして、鷗外の作品で最も納得できないのは、説教のいわば生命ともいうべき場の構造(=聖域的広場的側面)と論理(=生命の転換と再生)をかえりみない点である。・・・(説教における場の構造と論理とは)寺社の祭りの場が内包している固有の構造と論理を、説教という語り物の中で生かしている、形式(虚構)としてのそれを意味している」。

「さんせう太夫の支配の網の目を逃れて、づし王は丹後の国の国分寺から摂津の国天王寺へとたどり着くが、その天王寺で賎しい乞丐人の身分を捨てて、生命の浄化と更新を得、もとの奥州五十四郡の主として復活する。『天王寺』を契機として、乞丐人の身分から、一躍高貴な身分に生まれ替わる。そこに演じられた生命の転換と更新の劇、それを説教における場の構造と論理とよぶわけである。『さんせう太夫』において天王寺という場の果たしている役割、つまり生命の転換と更新の劇が演じられている空間世界、これは『さんせう太夫』という作品のいわば要にあたる部分であって、これを捨象した鷗外の作品が、原典の精神とはいかに隔った似ても似つかぬものであることがわかる」。岩崎武夫が言うように、『山椒大夫』では清水寺に置き換えられていて、天王寺は影も形も見えない。

「この賎から貴への生命の転換と更新の劇は、いいかえると生命における上昇現象でもある。これを、中世末~近世初期における、賎民といわれた階層の解放感や、エネルギーの独自な表出のパターンとしてみても誤りではない。・・・天王寺とは、浄土と現世が接続している聖域であった。そこは浄と穢、死と生、貴と賎が併存している都の中の特異な場所ということになる。そしてこうした二つの相反する契機が対応し、彼岸中日などの晴れの日を媒介として転換することが可能であったのであり、その死→生、穢→浄、賎→貴への転換を通して、生命の更新と再生が期待されるような信仰が存在していたのであろう。天王寺という聖域のもつ、この伝承的な信仰に支えられた転換の論理と構造を担った人々――説教の徒や下層民衆は、単なる幻想としてではなく、実際に経験としてそれを信じつつ、その世界に生きることができたのであろう。・・・(説教などの語り物を聴く)聴き手(民衆)の魂の問題として、より本質的なことは、づし王の生命の転換と更新を通して獲得された賎→貴への生命の上昇感と、それに続くさんせう太夫に対する残酷な報復を追体験することによって、彼ら自身が、日常的な拘束された秩序や慣習から脱出し、生命の昂揚――自己解放を味わっていたのではないかということである。ここには賎→貴への生命の上昇感を媒介としてはじめて得られる、現実社会における身分的ヒエラルキーの転倒と、日常性からの飛躍、閉ざされた情念の解放など、語り手(漂泊民)と同じく、民衆自身が自由な自己を取り戻していた貴重な瞬間があったであろう」。

このように説教節『さんせう太夫』の精神と役割を軽視した鷗外は、子供向けの絵本の題材に相応しい『山椒大夫』を世に送り出してしまったのである。返す返すも残念なことだ。