月世界への旅のあれこれを体験できるかもしれない快著。
名著の誉れが高いニコルソンの本書は、1935年に書かれた『月の中の世界』の続編で初版は実は1948年であり、SFなどの書物に多く参考書籍としてあげられていたが、入手困難であったものが1960年代に再版されたものである。実に60年以上前の著作である。しかし、この本に書かれた意図が分かってくると、実は今だからこそ心に響く点があると言えるのだ。すなわち、私たちは福島原発事故の後の日本に生きるということで、原子力という自然界に存在しないエネルギーを生みだしながら、それを制御できないという事実を知ってしまったのである。
ニコルソンはサイエンスとテクノロジーの相違を意識的に区別している。サイエンスは人文学と手を結べるがテクノロジーは手を結べないと表現している。ニコルソンは19世紀末の生まれであり、20世紀は科学の時代として希望の光であったものが、広島、長崎への原爆投下はテクノロジーにひれ伏した科学の敗北とみている。そのような観点から、ニコルソンは17世紀から19世紀末に至る宇宙旅行文学を先行研究なしに営々と集め、提示して見せてくれた。もちろん空中飛行の文学的事例は古代の神話に遡るが、それを文学として書かれたのは17世紀が出発点となる。その飛行手段の様々は、実にユニークで、楽しめる。初めは鳥の翼を模した物による飛行、鳥に引かせて飛ぶ方法、花火による推進力を得るものなどから、より科学的に気球の前身のような気体をつかったものなどであるが、飛ぶことが宇宙へと広がったのは、17世紀初頭にいわゆるニュー・サイエンス(新科学)がガリレオの「光学の筒」を通してもたらされてからで、拡大する空間感覚を一気に飛び出そうという意識性が生まれた。しかし、多くはかなり夢物語的であり、重力の認識、宇宙空間の空気のないこと、月との距離などは科学の知識として得られていたが、その中でどう生きるかと言う点では、不確実で、気づいたら異界にいて、異界人とコンタクトを取っているというパターンが多い。いずれもいわば伝奇小説の色合いが強い。とわいえニコルソンはそれらの伝奇小説の月旅行記が先端科学に拠り構想され、さらに推測される夢物語が現実の科学を進めもしたというように理解している。
解説において高山は「人間の想像力が文学ばかりか、文学の敵のようにみなされてきた「科学」の諸発見によっても刺戟されてきたことを跡づけようとする」のがニコルソンの生涯のテーマであったとしている。ニコルソンの著作の契機は、実は1930年代差し迫った大戦の世界の中で、国も知もみなばらばらになっていきつつある世界を前に、科学による「普遍」の夢の再来を意図したもので、これこそがニコルソンが創設に関わったヒストリー・オブ・アイディアズ(観念史学)の基盤なのである。この知の動議はほぼ同じ時代を生き、交友を深めていたフランセス・イエイツのワールブルクでの研究、いわゆるルネサンスの読み直しからくる研究書のあれこれと通じている。つまり30年戦争と宗教改革の混乱の中でいかにヨーロッパに平和をもたらすかの運動が進められていたかを解明したのが『薔薇十字の覚醒』、『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス教の伝統』等であった。60年代の知の前衛にいた二人の研究者(くしくも女性研究者としての先陣を切り、同年に亡くなっている)が、「普遍」と「平和」を心に抱いての研究であったことが今切実にひびくのである。
とはいえ、ニコルソンの本書は月世界旅行の不思議なあれこれのコレクションとしても十分に楽しめる。人間は昔も今も、月に行ってみたいし、宇宙旅行を夢見るものであるのだ。日本の探査機「はやぶさ」の帰還に涙するし、いまでも日本の太陽電池で宇宙空間を航行しているイカロス君にエールを送り、アメリカの火星探査機、キュリオシティに興味津々ではある。しかし、これがニコルソンが危惧したように極端なテクノロジーに依存し、更には国家間の競争に支配され、宇宙空間の植民地化に進む事のないことを、強く思う。月は兎がいてこそだもの。
魔女:加藤恵子