『北極の神秘主義 極地の神話・科学・象徴性、ナチズムをめぐって』ジョスリン・ゴドウィン
この本、先日の学魔の朝日カルチャーでの講義の中で、ちょっと触れられたので、興味津々、早速読んでみた。マーとんでもなく、何と言ったらいいのか分からん本である。筆者は『星界の音楽』『キルヒャーの世界図鑑』などが有名で、専門は音楽史学なのだそうだ。しかし、彼がこだわっているもののもう一方はオカルティズムで、科学と疑似科学、神話、宗教、神秘主義、そして神秘哲学と政治という分野にまでひろがった、なんともはや得体の知れない人物であるが、れっきとしたニューヨークのコルゲート大学教授である。
我々にはなかなかピンとこないが、どうも「極」に対して持っている人間の思想を古代から現代まで総ざらいしたものである。その「極の元型」が地球の、そして天の両極に関わる人間の観念が、宗教から宇宙論、地球生成論、オカルト哲学、人種論、楽園説などにどのように現れたかを広範囲に拾い集めたものである。
3・11の地震、津波。今年の天候異変、特に記録を破る大雨の毎日。ゲリラ豪雨などを経験して見ると、どうも地球はなんか変なんじゃないかと思えてくるのだが、ともかく人類は、かなり早くに地球の地軸が傾いていることに気づいたらしい。その理由を納得させる過程で、まず超古代には地球の地軸は直立していて、極にはアダムとイブの楽園以前の黄金時代があったと考えられた(北極楽園説)。そこが人類の原郷であるとする考えが古い神話解釈から導かれている。その極地に住んでいた北方人種は太古の文明をもち高度のテクノロジーをもち、叡知に優れた人類の前衛であったという考えがあり、色々な説があることをざっとすっとばすと、そこが例のアトランティスではなかったのかと云うような説にもつながっている。問題はそこから出た人種がアーリア人であるという考えである。インド=ゲルマンという言語体系からの人種を「アーリア」と名付けたのは言語学者マックス・ミューラーで1853年彼のエッセーには「伝統的な歴史の最初の夜明において、これらアーリア人の部族はヒマラヤの雪原を越え、7つの川を目指して南下した。・・・それ以来、インドは彼らの原郷と呼ばれるようになった」と書いた。当時、ダーウインの思想は知識層には行き渡っていて、マックス・ミューラーの考えはフランスに影響を与え、アーリア人が人種の頂点にあるという考えに至っていた。
20世紀に入り独自の北極原郷論はトゥーレ協会という組織に流れ込み国家社会主義者たちの神話に採り入れられてゆくことになる。そしてナチスのイデオロギーとして、北極原郷の神話およびアーリア人至上主義を、ゲルマン人至上主義と結びつけたのである。直接的には、元シトー修道会員デアッタウィーン人イェルク・ランツは、1907年、極端な人種差別思想をもった騎士道的・グノーシス的・祭儀的結社「新聖堂騎士団」を創設した。古城をロッジとしたこの結社こそ、ハインリヒ・ヒムラーの「親衛隊(SS)の原型となり、「アーリア人統治の新時代」の支配者の訓練・養成機関へと変わって行った。また、ルドルフ・ヘスは初期のナチスにおいて、ルドルフ・シュタイナーの人智学や魔術、占星術、万物照応理論、そして薬草学に関心をよせていてナチスとオカルトの関連を証明ずけている。
また、ナチスといえば鍵十字を思い浮かべるが、これはスワスティカと称するのだそうだが、このシンボルについても非常に詳細に記述されている。
スワティカは、大熊座、小熊座の夜ごとの年間の動きを図に記録したもので、宇宙の四方向と四季に対応する四つの位置を示した。この図とスワスティカ、卍との類似は明らかであり、それが極とその周辺の星々の運動の象徴として用いられてきた。
人類学の研究によればスワスティカはほとんど普遍的な象徴であり、青銅器時代よりこの型、旧世界でも新世界でも用いられてきた。あらゆる種類の日用品の装飾に用いられたところを見ると、その意味は単に「幸運」であったと考えられる。これはサンスクリット語の名称su(ギリシア語のeuと同義語。「よい」)、asti(ギリシア語のesto「である」)、ka(接尾語)からも確認できる。文書の始めに用いられたサンスクリットーチベット語のSwasti、「幸あれかし」とも比較されたい。それが聖なるシンボルとして用いられたのは、ただ仏教とごく一部のキリスト教―仏足石とローマの地下墳墓にははっきり見られるーにおいてのみにすぎない。
スワスティカは中世以来、ヨーロッパの純粋芸術・装飾美術のなかでは用いられなくなり、錬金術、薔薇十字思想、フリーメーソンの図像にも現れることはなかった。それが19世紀に再び世に出たのは、ふたつの分野―比較民族学と、東洋宗教学―における学問的研究の結果である。前者は、広く分布しているスワスティカがエジプト、カルデア、アッシリア、フェニキアにはまったく見られないことを見出した。このことから多くの学者はこれはアーリア人の太陽の象徴と考え、またその存在はアーリア人の移民と影響力の伝播を明白に跡づけるものと考えた。東洋学者たちは、仏教、ジャイナ教、そして道教の道士の間でスワスティカが象徴的・儀式的に用いられているのを発見した。前仏教時代の中国およびインドの「道士」集団、すなわち「秘密の十字」であるスワスティカを信仰する人々に関する報告書も出版されている。
この概念に取り憑かれた人物に、占星術師のリチャード・モリソン(1795-1874)がいる。彼は「ツドキエル」という筆名で大量の占星暦や占星術書を発表していたが、1870年に「最も古きスアスティカの騎士団」-すなわち「秘密十字の結社」を英国に復活させ、ヨーロッパ、インド、アメリカにひろめるという意図を宣言した。これには三つの階級があり、「徒弟」「道士」「大師」からなっている。かれによれば、この騎士団は「フォエ」によって「チベット国内」に紀元前1027年頃に作られたという。ツァドキエルは自ら出版物ででかでかとスワスティカを印刷したが、問題の結社やその分家である「ルクソール同胞団」とつながりがあるともないともいえない他の著述家これに倣った。その一人がブラヴァツキー婦人である。彼女は地球の自転をはじめとする「調和を保ち、「宇宙」を安定した永遠の運動の状態に置く」求心的・遠心的な力を象徴するスワスティカを神智学協会の印章に取り入れた。
20世紀の初頭、スワスティカはラジャード・キプリングの書物の表紙に登場したため、英語圏ではおなじみのものとなった。後にかれは明らかな理由からこれを取り除いたが、『物語のように』の挿絵である「海と戯れた蟹」の中には残されていて、そこでは彼はこれを「魔法の印」と呼んでいる。第一次大戦中はスワスティカといえば単純に「幸運」という連想が働いたため、英国戦時貯蔵計画の紋章としても使われ、クーポン券や切手にも登場した。
スワスティカのいわゆる「右向き」および「左向き」に関しては、特にナチスが前者を採用したということと、併せて、その象徴的な意味がいろいろと取り沙汰されてきた。
右向きすなわち反時計回りのナチスのそれは、南極にある秘教的中枢への帰還を象徴するという。
ナチズム関連の章に興味は尽きないが、この本は、その他地球空洞説とか、地底都市アガルタとシャンバラとか、最も頁を費やしているのが地軸傾斜理論であり、人類誕生以前に地軸が反転したという説や、次第に傾斜しているという説や、地軸の移動による地殻変動、気候変動の記憶が聖書の大洪水に反映されているのだとか、黙示録は未来の予言ではなく、この地軸変動の過去の記憶であるとかなかなか面白い説が紹介されている。
一概に神秘主義といって、幻視とか妄想の類に落としめるわけにはいかない。地球の気候変動や地殻変動は、最新科学によれば、地球の表面がプレートの上に乗っていて、日本は少しずつハワイ方向に動いているとも言われているし、人間の想像が後に科学的に証明される例は多い。
ともあれ、なんだかめちゃくちゃに訳のわからんことを人間は考えてきたのだと言うことがわかる本ではある。しかし、ナチスの精神構造の根底にあった「極」の原郷への異常な確信と純化の結果の恐るべき事実をしっかりと見極める必要がある。
魔女:加藤恵子