魔女の本領
東京アポカリプス、ナウ…

東京自叙伝

 

『東京自叙伝』


東京アポカリプス、ナウ。滅びの予感を感じさせる気持ちの悪さ。

『東京自叙伝』奥泉 光著 を読む。

奥泉の小説はこれまでも、歴史の裏側に張り付いている何だかわけのわからない黒々とした物を描いてきた。今回は又、そのラインに連なる作品であるが、決定的な違いはやはり、3・11の大震災と福島原発の苛酷事故により触発された点であろう。この作品のストーリーにはほとんど意味がない。そして主人公は一人、いや登場人物が全て私という一人でかつ多数であり、鼠であり、オケらである私なのである。6章に分かれていて、章が人名になっているが、これは入れ替わった存在が人間として動いた時の名前である。そして彼等、彼女等が明治維新から震災時の現在に出現し、更には滅亡する東京に出現する。この存在は何物か?地下に住まう東京の地霊であるようだ。そして、その地霊が人格を持ち、自らの出自を理解するのが、地震、火災なのである。最初の契機が安政の大地震から始まるのであるが、その時の人物の頭には縄文時代からの災害の記憶が蓄積されていて、それがアイデンティティであるというすさまじさ。輪廻転生と言ってしまえば簡単なのだが、これを一つの視点で書かれたものを思い起こせば三島の最後の小説『春の雪』に始まる連作が思い起こされるが、三島の小説の様に転生するのが人間とは限らず、更に一時に多数の私が埋め尽くすというイメージはちょっと例がないのではないだろうか。
エピソードでかなり際どいのは、天皇と関係である。ある時の父親は一応狂人としてではあるが聖徳王と名乗り天照大神の弟と名のるのであるが、それ以前の生のとき、母親が天照大神の姪と名のって信仰を集めその子孫が新興宗教として絶大な力を持ったりする、その再来なのだが、有名な葦原将軍の下敷きではあるが、その後もしばしば天皇批判が書かれている。戦後の本性では皇居を開放して公園にしたらどうだと主張したりする。

ともかく、あれにもこれにもなるのであるが、弁天小僧になり、漱石の『吾輩は猫である』のモデルの猫になり、浅沼稲二郎暗殺の犯人に入れ知恵をし、皇太子成婚パレードに石を投げたのも私がやらせたのである、街頭テレビを発案し、力道山をプロレスに転向させる、原子力事業を正力(正刀になっている)に吹き込んだのは私で、一億円事件の犯人は私で、ジョン・レノンは私で、市ヶ谷で割腹自殺したのは私で、コインロッカーから赤ん坊が見つかったあの赤ん坊は私で、オウムサリン事件は妹の仕業で、秋葉原殺傷事件のKは私で、通り魔事件は全て私で、あらゆるところに存在する私。そんな私はともかく東京という場にいないと力を発揮できない。それ故、東京中を歩き回る。すると当然感応する場がある。平将門である。そして戦場、火事場、災害の場に尾骶骨からしびれる快感が生まれるのだが、そうするとどうも地下の物の本性、特に鼠に乗りかわり自我がぼやけていくのである。歴史的な背景については、特に戦時中、戦後の日本の在り様が詳細に書かれているのは、これまでに書いた作品の積み重ねがあることによると思う。時間が進むにつれて怒涛のように私の増殖は疾走し、3・11に至るのである。あの時、これまでの全てを語っている私―郷原聖士は地震の揺れによって分散していた私が再結集し地上に飛び出ら先が福島第一原子力発電所の4号機タービン建屋地下一階なのである。そこで原発労働者として走りまわるが、あちこちにいる人物が鼠であり、私なのだ。奇怪なのは放射性物質が大好物で、ヨウ素やセシウムよりもストロンチウムが好み。混乱の現場が好きな本性から事故現場を徘徊する。戦後原発を導入した私の記憶がよみがえる。その原発が崩壊しつつあるその悲しみとも喜びともつかぬしびれるような感情が私=鼠をつき動かす。裸で徘徊していた私は保護されて、福一から東京にかえり、眺めて見れば東京は廃墟で、鼠人間が跋扈している。

しかしそれは鼠をはじめとする地下の生き物が見た光景で、地霊としての私が古代の火山噴火から連綿と積み重ねて繰り返して来た破壊の経験の重なりなのであった。「あれは個人が見た幻覚ではなく、いわば東京と云う街そのものが見た夢であり、東京が想起した記憶であり、その意味でリアルな東京の現実である」と。どうせ近い将来東京は破壊してしまう。オリンピックでむやみと景気を煽り祭りの麻薬の麻痺に痺れて、意味のない言葉を喋り散らしてワイワイはしゃいでいれば、何もかもが崩壊し、廃墟には鼠が走り、放射能まみれの土中でミミズや蛆虫が蠢く。瓦礫の蔭から空を見ている一匹の鼠。それが私なのである。

というわけで、すさまじい虚無感が漂うのだが、なるようになれというメッセージととるか、まだ人間には東京の崩壊を押しとどめる力はあるのだととるのか、難しい所だ。読んで気持ちがいいとは言えないが、3・11を作家がどう受け止めているのか、いとうせいこうの『想像ラジオ』の死者のラジオは秀逸であったが、この東京崩壊のイメージもうっすらと見えてくるようだ。

魔女:加藤恵子