カフカは誠実な男なのか、それとも悪魔のような男なのか
フランツ・カフカには、「強大な父に抑圧された息子であり、繊細で孤独を好み、商売の不純さを嫌悪していた」という<神話>が執拗にまとわりついている。このカフカについて、『カフカらしくないカフカ』(明星聖子著、慶應義塾大学出版会)には、驚くべきことが書かれている。一人の人間としても、作家としても、平気で嘘をつく人間、悪魔のような人間だったというのだ。著者は、カフカという人物とその作品に関する通説を本書で全面的に覆そうと試みているが、実証的かつ独創的な追究によって見事にその目的を果たしている。
先ず、父と子の関係について見てみよう。「怖い父、怯える息子」という従来の構図は事実とは異なっているとして、「(カフカの『父への手紙』は)間違いなく、父に横暴で独善的な一面もあったことを伝えている。が、同時にそれが語っているのは、父の息子への気遣い、理性的に息子に接している態度だともいえるのである。・・・父がいつも息子に泣き言をいっていたという<事実>である。おそらく、父は弱く、そしてやさしい男だったのだろう。手紙には、それを明らかに示唆するエピソードも書き込まれている。家族思いの繊細な父の姿がうかがわれる。こんな素敵なやさしい微笑をする男が、日々息子を痛めつけ、絶望の淵に追いやっていたと想像できるだろうか」と反論している。
次は、ビジネス面に注目してみよう。労働者災害保険局の役人であったカフカは、その傍ら、実際に事業を興し、営利ビジネスを営む経営者でもあった。「カフカは商売を忌み嫌っていたのではなく、むしろ大きな興味をもっており、自分には商才があると思っていた」。「カフカが、義理の弟カール・ヘルマン(一番上の妹エリの夫)とともに会社を起業したのは、1911年12月のことである。名称は『プラハ・アスベスト工業所』であり、当時奇跡の鉱物といわれたアスベストを使って、断熱材やパッキンなどの製品を作る工場だった」。
このビジネス志向は、恋人のフェリス・バウアーに宛てた手紙からも窺うことができる。「利益にまつわるコミュニケーションに関して、カフカが非常に長けていたことを示しているといえるだろう。じつは、フェリスに宛てた手紙のいくつかからは、彼が商売そのもの、いいかえれば営業や商品売買の実践についても、大きな関心を寄せ、またそれについての自分の能力に自信をもっていたことがうかがえる」。「カフカの手紙からは、彼がとにかく、フェリスに自分の商才を認めさせ、彼女から有能なビジネスマンとして認められたいという願望を読み取ることができる」。「一般にカフカのフェリスに宛てた手紙は、恋する女性に宛てたラブレターだと見なされている。しかし、そうではない。それは、自分のビジネスの才能を確信するビジネスマンが、自分と同等に優秀だと認めるビジネスウーマンに、自分とビジネス上での連携を呼びかけるビジネスレターである」。カフカの手紙はラブレターではなくビジネスレターだとは、言い得て妙である。
それでは、「慎ましく、控えめなカフカ、孤独な求道者のようなカフカ」とされてきたカフカの性向、愛、恋の実態はどうだったのか。「(カフカは)演技が巧く、嘘が巧く、商売人の父にも頼りにされていた。知り合ったばかりの女性との交流にも怖じけることなく、偽りの手紙を送り、ドアが開けられるとしつこく言葉を発し、彼女から言葉が返されることを求め続けた」。「カフカが女性に強い関心――性的なものもむろん含めて――をもち、臆することなく女性たちと積極的に接していたことが十分うかがわれるといえるだろう」。「カフカはかなり大胆な男である。ふてぶてしいとすらいってもいいかもしれない。それは、フェリスに宛てた3通めの手紙から十分に見て取ることができる」。
すなわち、「大胆で、ふてぶてしい、欲望の強い男」、事業欲が強く、金に細かく計算高い男、そして、いわゆる<遊び人>であったというのが、著者が辿り着いたカフカ像である。
著者がカフカの真実の姿を追究する手がかりとして注目したのが、カフカが2度婚約し、2度婚約破棄した女性、フェリスである。1912年8月13日に、この女性と出会ってからすぐ『判決』が書かれ、間もなく『変身』が書かれている。「『変身』は、明らかに11月17日から18日にかけての夜に書き始められていた。『朝起きたら、虫になっていた』という有名な一行が書かれたのは、その晩だということである。この日付は非常に重要である。なぜなら、11月18日は、フェリスの25歳の誕生日だから。まさに、彼女が24歳から25歳になろうとするとき、彼は、あの『虫』になる一行を書き始めた」。『変身』は2週間で書き上げられている。
「29歳の夏、カフカはフェリスに会う。会ったその場で、彼は『判断』を、『判決』を下す。彼女こそ、僕の結婚の、生涯でもっとも重要なビジネスの、パートナーにふさわしい。そして、握手を交わす。5週間後、タイプライターでビジネス用の便箋に最初の手紙を書く。2日後一晩で一気に『判決』を書き上げる。本当の僕を正しく理解してほしい。この強い思いで書き下ろされた小説を、ただちに意中の読者フェリスに献げた。それからの2ヶ月半、怒涛のように(フェリスに)手紙を書きながら、同時に『失踪者』を『変身』を書き進める。それらの小説も手紙である。手紙よりももっと大事なことを伝える<本当>の手紙である。僕の書いた手紙にはけっして騙されないように、あなたに手紙を書く僕にはけっして欺かれないように。そう警告する<誠実>な手紙、手紙を裏切る手紙である」。
「フェリスは、初めて本気で、花嫁にしようと思った女である。その未来の花嫁の誕生日に、真心からのプレゼントとして、こう忠告したかった。気をつけろ、君と結婚しようとしている男は、その男の本当の姿ではない。『変身』もまた、カフカが偽ることなく自分を伝えようとして書いた<愛>のメッセージではないのだろうか」。
フェリスとは、いかなる女性なのか。親友のマックス・ブロート宅で、ブロートの遠縁に当たるフェリスに初めて出会う。彼女について、カフカの5日後の日記にはこう記されている――「ほとんど折れ曲がった鼻。ブロンドの、少しごわごわした魅力のない髪。がっしりしたあご」。一方、「ベルリン在住の24歳のフェリスは、当時まだ珍しいいわゆるキャリアウーマンだった。しかも、若くして、そのドイツ最大の最先端メディア機器(口述用フォノグラフおよびグラモフォン)メーカーの重役に上り詰めていた」。フェリスはビジネス上手で、社交的でコミュニケーションに秀でた女性であった。
カフカはフェリスに恋したのだろうか。「出会いから2年後の1914年6月に二人は婚約し、そして7月に婚約破棄する。それから半年後、二人はある保養地のホテルで落ち合う。その日、1915年1月24日の日記に、彼はこう書いている。『僕たちは、一緒にいてまだ一度もいい時間をもったことはない。僕は自由に呼吸ができる瞬間もなかった。ツックマンテルとリーヴァでのようなあの愛する女との甘い気持ちは、F(フェリス)には手紙以外で感じたことがない。あったのは、かぎりない賛嘆、恭順、同情、絶望、そして、自己嫌悪』。ツックマンテルとリーヴァは、カフカがむかし夏の休暇を過ごした場所の地名である。それぞれのサナトリウムで、彼は刹那的な恋に落ちた。そのとき味わった甘美さを、元婚約者との間では感じたことがなかった。1年半後、二人は温泉地で一緒に10日間をすごし、2度めの婚約に向けて大きく一歩を踏み出す」。
最後に、カフカにとって文学とは何だったのか。「『この物語は、本当の出産のように、汚物や粘液にまみれて、僕から出てきた』。これは、『判決』の校正刷を手にした1913年2月11日の日記の一節である。その息子は『汚物や粘液にまみれて』いるということであり、つまりは彼の内部の<汚れ>が付着しているということである。自分の内奥にある汚れたものを、自分の手で引きずり出すこと、カフカにおける<書くこと>とは、やはり自分の<汚い>秘密の暴露にほかならないといえるのではないだろうか」。
カフカの『変身』が、レオポルド・フォン・ザッヘル・マゾッホの『毛皮のヴィーナス』(1870年)に範をとっているとの指摘も興味深い。
「なぜ、カフカは、それらをあれほど熱心に人々に読ませたがったのか。たんに作品として公表したがっていただけにとどまらない。明らかに、それらの謎を解く鍵まで併せて、同時に伝えようとしていた。・・・なんとも複雑な自己顕示欲である。読んでほしい、わかってほしい。なぜなら、絶対にわからないように書けたから。いくら読んでもわからない。どんなヒントを出してもわからない。こんなにうまくわからないものを書けたことをわかってほしい。どこまでもどこまでも、僕のなかに入ってきてほしい。どこまでもどこまでも、深く僕を読み取ってほしい。とてつもない深さで、人と交わることを求めている。暴力的なまでの強い誘惑である。・・・明らかにカフカは(多くの聴衆の前で自作を朗読することに)快感を感じている。おとなしく耳を傾ける人々に向かって、大声でどなることに、喜びを感じている。人々の耳に、自分の物語を吹き込むこと、それによって彼らを誘導すること、それができると信じること。これほど、身体にとっての満足はないといいきっている。自分のなかの深い闇に、人々を誘い込む。悪魔のような男である」。
「書きたいという欲望に駆られた人間が吐き出すように生み出した膨大な量の書き物を、読みたいという欲望に駆られた人間が、舐めるように隅から隅まで読み込んでいく。秘密だから見せたい。秘密だから知りたい。深く深く人と交わろうとする強欲な者たちの、果てしない欲望の<交通>。これが、おそらく文学である。カフカは徹底してそれを見抜き、それを利用し、それであそんだ。他人の欲望だけでなく、自分の欲望ももてあそび、そして世界をもてあそんだ」。これは、カフカに魅了されている著者の、カフカへの讃辞と受け止めるべきだろう。それにしても、著者の作家、読者、文学についての、この鋭い洞察には、舌を巻く。