情熱的読書人間・榎戸 誠
『昭和23年冬の暗号』(猪瀬直樹著、中公文庫)は、私の好きな小説のトップ10入りする傑作である。その理由は、3つある。
第1は、推理小説と歴史小説が見事に一体化していること。
祖母の日記が「ジミーの誕生日の件、心配です」という昭和23年12月7日の記載で終わり、その後は空白になっている謎を解いてほしいという依頼が、見知らぬ39歳の女性から著者を思わせる作家「わたし」のもとに寄せられる。「祖母はなにを心配していたのでしょうか」。
調べていくうちに、このジミーは、英語教師エリザベス・バイニング夫人が付けた平成天皇の皇太子時代のニックネイムで、依頼主の祖母は、当時32,3歳の子爵夫人で、息子が皇太子の学友であったことが分かってくる。
第2は、ダグラス・マッカーサーが敗戦後の日本をどうしたかったのかが明らかにされていること。
連合国軍最高司令官のマッカーサーの信頼が厚く、マッカーサーの分身とまで評されたホイットニー准将(民政局長)。そのホイットニーの右腕がチャールズ・ケーディス大佐(民政局次長)で、ケーディスは日本滞在中、子爵夫人と濃密な愛人関係、ダブル不倫関係にあったのである。
「昭和天皇の退位を最も望んでいない人物、それはマッカーサーだった。退位してしまえば、占領政策に天皇家を利用できない」。
「東條(英機)の自殺未遂事件はマッカーサーの総司令部でも、日本政府にも波紋をひろげた。肝心の東條が死んでしまえば、戦争の責任者として昭和天皇が矢面に立たされるかもしれない。マッカーサーの占領政策は変更を余儀なくされる」。
「クルックホーン記者を介在させて、責任者は昭和天皇ではなく東條だ、ということにしたが、世論をコントロールすることは簡単ではない」。
「(アメリカ以外の戦勝国からの干渉を受ける)前に日本という軍事大国に対して武装解除を徹底させることでその脅威を取り除き、同時に、天皇家の世襲を否定せず権力を奪う。皇室を狂信的な崇拝者から隔離する作業を急ぐことだ。新しい憲法をつくってしまえばよい、とマッカーサーは考えた」。
本書を推理小説として愉しみたい向きは、この後は読むべからず。
「ニュルンベルク裁判では被告人、A級戦犯は24名でしたが、東京裁判(極東軍事裁判)でもほぼ同じA級戦犯として28人が被告人とされました。昭和天皇は不起訴になりました。・・・巣鴨プリズンに収容されているA級戦犯28人に起訴状が伝達されたのは4月29日でした。わかっているな、昭和天皇の誕生日だぞ。あなた方は、代わりに罰をうけるのですよ。マッカーサーのメッセージを、そう読み取ることができます。それだけではなく、もう少し深読みすれば、一幕目は(昭和)天皇、二番目はつぎの(平成)天皇、つまり皇太子明仁に武装解除を刻印させる、ということかもしれません」。
「(不起訴となった)にもかかわらず、昭和天皇を裁くべきだという戦勝国の世論は、東京裁判の地底にもぐりマグマとなってふつふつとたぎっていた」。
「キーナン首席検事はマッカーサーと打ち合わせ済みであり、日米開戦が昭和天皇の意思によって行われたのではないことを証明したかった」。
第3は、マッカーサーの意図を察した東條がどう振る舞ったかが描かれていること。
「『わたしの内閣において戦争を決意しました』。『その戦争を行わなければならない、行え、というのはヒロヒト天皇の意思であったか』。『意思と反したかもしれませんが、とにかくわたしの進言、統帥部その他責任者の進言によってしぶしぶご同意になったというのが事実でしょう。而して平和愛好のご精神で最後の一瞬にいたるまで陛下はご希望をもっておられました。そのことは開戦のご詔勅のなかにある『朕の意思にあらず』という意味のお言葉にあらわれています』。昭和天皇の免責には充分な答弁で、キーナン検事は満足し、さりげなく訊問を別の問題に移した。東條はその日、巣鴨プリズンの独房に帰ると日記にこう記した。『肩軽し これで通すか 閻魔大王』。キーナン首席検事は翌1月7日、マッカーサーに東條陳述の経過を報告した。あとは判決だ。オーストラリア人のウェブ裁判長をどう孤立させるか。東條を絞首刑にして、昭和天皇を退位させない、というマッカーサーの作戦は仕上げ段階に近づいた」。
「12月23日午前零時1分30秒、東條英機らの絞首刑が行われた。皇太子明仁の誕生日に執行されたことに(昭和天皇は)衝撃を受けた」。
作家が遂に辿り着いた真実が、子爵夫人の孫に明かされる。「新憲法はマッカーサーの作品です。その作品づくりの中心になったには、マッカーサーの分身で上司のホイットニー、つくったのはケーディスです。ケーディスはその作品を最終的に完成させるための仕掛けを、置いていきたかった。・・・マッカーサーの使命は、占領期の日本軍の武装解除でした。・・・マッカーサーにとっては、昭和天皇を権力をもたない象徴として温存しておくことで日本軍による武装蜂起の根を絶やすことができただけでなく、秩序を維持しやすいので占領コストを大幅に下げることができた。・・・ようやく長い航海から霧深いなかを港に辿り着いたような気がします。なぜ12月23日の皇太子誕生日がケーディスの作品の完成なのか、というご質問にいまは答えられます。いずれ昭和天皇は亡くなれば皇太子明仁が天皇として即位する。12月23日は祝日になる。その日に東條が絞首刑になった日だということを日本人が憶い出すはずだった。新しい天皇にも戦争責任が刻印され、引き継がれる。お祖母さまが心配していたのは息子と同い歳の少年には重すぎる負担ではないか、ということでしょう」。
「15歳の皇太子明仁は12月23日の誕生日になにが起きていたか、あとで知ったはずである。自分が果たさなければならない役割をずっと演じてきた」。
この作品に巡り合えて、本当によかった!