情熱的読書人間・榎戸 誠
『文学と悪』(ジョルジュ・バタイユ著、山本功訳、ちくま学芸文庫)は、ジョルジュ・バタイユの個性溢れる作家論集であるが、とりわけ興味深いのは、フランツ・カフカ論である。
バタイユのカフカ論は、2つの見解から成り立っている。1つは、『審判』、『城』などの作品は世俗的な成功者である父親が自分を理解してくれないことへの抗議の書であるという主張だが、これは多くの論者も述べていることである。もう1つは、子供らしさの態度の表明であるという主張だが、これはバタイユ特有のものと言えるだろう。
「カフカは、彼の全作品に『父親の圏外への逃避の試み』という題をつけたいと思っていた。しかし、思いちがいをしてはならないが、カフカは決して本当に逃避したいと思っていたのではないのである。彼ののぞんでいたこととは、圏内で――排除された者として――生きることだった。もちろん彼は、心の底では、自分は追放されてしまっているということを充分に承知していた」。
「カフカの性質のなかでとくに奇妙に思えるものは、父親が、自分のことを理解してくれ、自分の読書、のちには文学、の子供らしさを承認してくれ、自分が少年の頃から自分の存在の本質とも特殊性とも信じこんできたものを、唯一不壊のおとなの社会から外に放り出すことはしないでくれるようにと、心の底からのぞんでいたということである。彼の父親とは、彼にとっては、もっぱら有効な行動という価値にしか関心をもたない権威の人間だった」。
「(カフカは)これ(父親の価値観)とはきびしく対立する現在の欲望の優位性を固辞しながら、子供らしく生きようとする人間だった」。
「彼(カフカ)は、夢想という小児性のなかにとどまることを欲したのだ」。
「(カフカが欲した条件とは)自分がいまそれであるところの無責任な子供のままでいつづけることというのである」。
「彼(カフカ)は、存在する理由もなくさまざまの意味が雑然となげこまれているひとつの(子供の)世界が、いつまでも至高のものとして、死を前提とするのでなければ可能ではないものとして、ありつづけることを欲したのである」。
「わたしは、端的にいって、カフカの作品は、全体としてまったく子供らしいひとつの態度を表明していると言うことができると思う」。
「『城』のK、『審判』のジョゼフ・Kほどに子供らしく、また黙々として突飛な人間がいるだろうか。この『ふたつの作品にあらわれるまったく同一な人物』である作者の分身は、おとなしいながらも押しがつよく、計算もなく動機もなく闘争をつづけ、しかも、常軌を逸した気まぐれと盲目的な頑迷さとのために、なにもかもだめにしてしまう人間なのである」。
バタイユの見解とは異なり、カフカというのは、この作家はこの作品でいったい何を言いたいのだと読者を困惑させて煙に巻くことに最高の喜びを感じる愉快犯だったと、私は考えている。この意味で、バタイユの次のような言葉は、私を勇気づけてくれるのである。
「カフカは、作家たちのなかでも、おそらくいちばんずるい作家だろう。すくなくとも、彼は、決して尻尾をつかまれるようなことはなかった・・・」。
「カフカは、とくに意図して自分の思想を表現しようとする時には、かならずひとつひとつの言葉に罠をしかけたからである(つまり彼は、さまざまの危険な構築をくみ上げたのだ。すなわち、そこでは、それぞれの言葉が、論理的に配置されていず、一語が一語の上へとつみ重ねられているので、まるでただひとを驚かし、当惑させることだけをねらっているかのように、また、作者自身だけを相手に話をしているかのように、まったく飽くこともしらずに、意想外から錯乱へと縦横にとびまわっているのである)。それに、なにがむなしいといって、純粋に文学的な諸作品、そこでは登場人物が、往々にして現実にはないことを体験し、いちばんましな場合でも、一応言葉に表現されているとはいうものの、作者がどんなに慎重に対処してみてもはっきりと手にとってみることはできなかったことを、それらの人物たちが体験しているといった、純粋に文学的な諸作品に、ひとつの意味をあたえようとすることほどむなしいことはないだろう」。
また、1917年の日記に、カフカ自身がこう記している。<(現在のわたしは)自分の才能の命ずるままに、不幸とはなんのつながりもないあれこれの意匠をこらしながら、あるいは虚心坦懐に、あるいは逆説を弄して、さらにはまた、観念連合による完璧な交響楽的構成を意図して、自由自在にこのような主題について即興的なでっち上げをすることができるようになっているのである>。
カフカの読者を戸惑わせるという目的が、目論見どおりに実現していることは、カフカの作品の意図を探ろうという論争が今なお繰り広げられていることに照らして明らかだろう。